汽車・電車1971〜 掲示板 |
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向山さん(HN中堅八高さん)が世田谷美術館区民ギャラリーで父上と共催の蒸気機関車写真展を開催中。
世田谷美術館区民ギャラリーB 11月3日〜7日 10〜18時最終日は16時まで
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/citizens_gallery.html
美術館のある砧公園を突っ切ったところにはC5757も保存されております。
偶然にもプロの米屋さんも同じ日程で写真展開催されます。
信濃川田駅の米寿を祝う
「木造駅舎」写真展
●概要
長野電鉄屋代線・信濃川田駅は大正11(1922)年に開業。
2010年の今年、88歳の米寿を迎えました。
木造の駅舎は漆喰の白壁が清々しい真壁造り。
昔から変わらぬ佇まいのまま、開業当時の様子を今に伝えています。
この度、信濃川田駅舎内で開催します「木造駅舎」写真展では、
信濃川田駅をはじめ、日本全国の木造駅舎の写真を展示します。
懐かしい木造駅舎の空間で、写真作品をお楽しみいただけます。
●開催期間:2010年11月3日〜7日(10:00から18:00まで)
会場:長野電鉄屋代線信濃川田駅
作品点数:モノクロプリント約20点※入場料無料
※駐車スペースの関係上、なるべく電車でおいで下さい。
http://komekome231.blog101.fc2.com/blog-entry-54.html
水の丘さん
千葉県のあのあたりは2月29日生まれが集結していますね。
思えば今まで2月29日生まれの人は思い浮かびません、出生届けを一日遅らせて出したりしているのでしょうね。
学生のころ暇にあかせてプロ野球選手名鑑で自分や友人と同じ誕生日の選手を探したことがありますが、そのときも2月29日はいなかったように記憶しています。
鉄道車両の場合は人と違っていつでも良いのでしょうが、年度末の3月31日に滑り込みというケースはありそうです。
初心者用の書籍などは手に取ってみることもないので、その内容がどの程度のものかは判断できませんが、ライターやカメラマンが鉄道好きでも編集者に理解がないと悲惨なことにもなりかねません。
知人のプロカメラマンさんが一般誌で横川の体験運転ルポの写真を載せたのですが、EF63のパンタが切れていて、「なんであんな写真載せたの?」と聞いたら編集がトリミングしたんだよ、と心外そうに話されていました。
ここのところ掲示板やBlogで槍玉に挙げている本は都電6000形のことを「東京中をくまなく走っていた一球さん号」などと表記しています。
いつから「一球さん号」=6000全体の愛称になったんだよ、東京中をくまなく走っていた都電はほとんどがライト1コだった事実も知らんのか?! ともうページを破り捨てて燃やしてしまいたい気分です。
入門書の間違いの多さは間違いなく取材を一切していないと言うことに尽きると思います。
見りゃわかるだろ?という間違いすらありますからね。
ネットにある情報を鵜呑みにして転記→出版といった感じでしょうかね。
気にする奴はマニアしかいないし、初心者は気付かないしというのが、
この手の本の編集の魂胆なのでしょうな。
鉄ママとかの報道を見ていると反吐が出ます。
入門用鉄道書の中身の薄さが話題になっていましたが、私は内容の間違いが散見されることが気になります。ホームページと違って、書籍は一度発行するとそのまま市中に出回ってしまい、訂正が利かないので、綿密な調査や慎重な校正をお願いしたいです。
スルッとKANSAI 3dayチケットはおトクと知っていても未使用のスルKANカードがまだまだあるから使う機会がありません。
バスでもノンステ車が増えましたが、混雑時の対応は大変ですね。
着席定員を稼ぐため、中ドアから後が段付きになっているのも
原因でしょう。
オールフラットのワンステップ+リフト若しくはスロープが
妥当だったのではと今でも思います。
京阪の宇治駅は面白い構造ですよね。宇治線といえば、
近鉄の橋脚無し鉄橋の澱川鉄橋の近くも走りますし、結構見所は多いです。
18きっぷの期間短縮と東北新幹線開通による区間消失と特例は
仕方ないのか・・・。
他にもお得なきっぷが増えているのも遠因なんでしょうな(かく言う私も
ひかり早得きっぷとスルッとKANSAI 3dayチケット愛用者)。
正月の後って列車も空いていてのんびり使うにはいい時期だったんだが・・・
水の丘さん
万葉線は土日ダイヤだと超低床車だけで運用できるますが、在来車の方が詰め込みが効くので全面置き換えは難しいようです。
平日ならば日中も大体在来車も走っているようですよ。
大体超低床車に連接車が多いものだから、在来車よりも定員が多いと勘違いしている人もいますよね。
さらに噴飯ものなのは停留所かさ上げで段差を解消した都電に「低床車はまだ導入されていない」などと書き散らす輩もいることです。
永野さん
本日はご縁があってイギリスの鉄道ファンの方とも半日ほどご一緒しましたが、少なくともホームで進入を狙う姿や書店の鉄道書コーナーで品定めする姿は万国共通だな、と思いました。
万葉線は米島口までしか乗ったことが無いので、また行きたいですね。
日中は新車ばかりのようですが。
永野さん
イギリスの鉄道ファンは日本人にくらべはるかに写真を撮らない、とはよく聞きますね、沿線で撮影しにくいというのも一因でしょうか。
鉄道に限らず航空機などでもそうらしいですね。
カメラよりもペンとノートで記録するスポッターがまだ主流なのかな?
蒸機+旧客といえば私は大井川鉄道のイメージが強いですね。
秩父のパレオ〜も昔は旧客だったのになぁ・・・。
でも12系すら貴重になっているというこの状況で贅沢はいえませんね。
永野さん
イギリス蒸機のページまで拝見しました。
かの国での海を入れて撮影は初めて見たように思います。
丘の上からのサイド俯瞰もきれいに編成が入って良いですね。
さすがは保存鉄道の先進国、機関車だけでなく客車の編成もきちんと動態で運用されているのは羨ましい限りです。
日本もJR東が旧形客車を整備したりはしているものの、いろいろな規制もあるのでしょうが・・・
ところで,7ヶ月ぶりに新作「鹿島線秋桜路」をアップしました.
10月4日に撮影してきた,十二橋駅付近のコスモス畑を行く鹿島線列車の写真を40点ズラズラと並べています.見方によっては同じような写真ばかりかもしれませんが,置き換え間近な113系(スカ色・湘南色),鹿島貨物EF65PF(国鉄色・貨物色).そして209系試運転とバラエティある車両達と,カラフルなコスモスとのアンサンブルをお楽しみ頂ければと思います.
ところでX-103さんの貼っていただいたJR北海道鉄道記念物指定の記事見たらクラウス15も準鉄道記念物に指定されていますね。
ついでに沼田町のサイトも見にいったら、この9月に15号は移転していました。↓
http://www.town.numata.hokkaido.jp/chousei/saijiki
これ読むと公開は日にち限定のようですが、以前のように天気の良い日は外に出すというようにはなっていないのか、気になります。
それと鉄道、バス利用だと行きにくくなってしまいましたね・・・
摩周丸は先月訪問しました。ちょうど入口で案内されていた
山内元摩周丸船長のお話によると公開されていない客室や食堂は
現役当時のままで、展示室にある椅子と座敷を、そこから持ってきた
以外そのままとのことでした。
船長としては全部公開したいと仰ってましたが、アスベストの関係で
不可能なのだそうです。
旧船長室や寝台室周りの改修については「今でも、何でこんな不可解な
改造をしたのか理解できない。」とお怒りのご様子でした(私もこれには
全く同意見。むしろ前のドック入りのときに外観だけでも修復して
欲しかった部分)。
個人的には八甲田丸や羊蹄丸でも公開されてない後部のヒーリング装置
制御盤も見てみたいですが(マニアックすぎ?)無理でしょう。
旧寝台室付近にある洞爺丸事故に関しての新聞史料を読みましたが、
昔の新聞のコードの緩さは・・・いや凄惨な事故だったことを生々しく
報じてますね。
正直、目を背けたくなりましたが、こうした先人たちの多大な
犠牲の下、今の青函トンネルがあるのかと思うと複雑です。
元々「函館本線0マイル地点記念碑」こと「旧函館駅所在地」の碑は、昭和37年10月14日に道南地方の鉄道発祥の地として初代函館駅のあった海岸町10番地の国鉄の官舎の中に建立され、昭和42年10月14日に準鉄道記念物に指定されました。
ところが平成2年7月に石碑が設置されていた旧国鉄の官舎の敷地が宅地化された際に縁もゆかりもない若松町12番地(旧函館桟橋待合室の脇)へ移設されました。
流石に縁もゆかりもないところに20年も置いたまま準鉄道記念物に指定しておくことは適切でないとして、今年の鉄道記念日に準鉄道記念物の指定がようやく解除されました。
JR北海道としては現在地での展示を継続するそうですが、出来れば本来のところへ再度移設されるべきものであることは確かかもしれません・・・。
D51453保存会さん
履歴調べて改めて気が付いたのですが、この機関車の製造日、2月29日なんですね。
上屋がないとこれからの時期は枯葉掃除も加わるので大変かと思いますが、公開イベントなどで地域に親しまれれてゆくと良いですね。
そういえば会津のC11254の保存会立ち上げた人は現役時代は知らないで子供のころその機関車で遊んでいたから、と言われていました。
次の世代に伝えてゆくことも大事ですね。
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