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[No.9060] 05-003号機  投稿者:水の丘  2011-08-08 (月) 00:17

ドイツ国鉄といえば戦前の流線型テンダー機05形003号機が運転席を前、ボイラーを後とした構造でしたね(テンダーは更にその後ですけど)。

井川駅からの静岡駅行きのバスは廃止ではなく道路の崩落による休止だそうで、まだ時刻表に存在自体は残ってます。
ただ時刻は載ってないです(実質廃止扱い?)。あそこが静岡市葵区というのもすごいですが。
大井川鉄道に行ったら、蒸気機関車を楽しむか、電車でプチ関西私鉄博物館を堪能するか、井川線を楽しむか、迷いますね。
殊に一人旅だと宿の確保が・・・。


[No.9059] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-08-07 (日) 22:36

大井川鉄道1979・8 その6井川線
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa1979-8-6..htm
DB重連を見たのはこの時だけでしたが、けっこうあったのかな?
30年後の井川線 2009・10
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa2009-10-1.htm
終着駅は社殿風
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-303.htm

水の丘さん
都内で大阪までの普通乗車券とはそれはそれでエラー券?として珍品になったかも?
ちょっと複雑な発券してもらうときはつい後ろに何人並んでいるのかを気にしてしまいますが、みどりの窓口の数も減っている昨今、相談しながら購入するような場合は旅行センターなどへ行っていただきたいですね。

燕号さん
一筆書ききっぷは同じ駅を2度通過できない、というルールなので2度目が目的地のP形経路ならば良いのではないですか?
東海道から東北への乗り継ぎの案内はひどい話ですね。
実際接続待ちはしていないのかな。

伊 謄さん
なるほど合併して音は同じでも字が変わったのですね。
さっそく表記を直しておきました。
しかしあの物件を見に行かれているとは。
そういえば北陸のほうで馬車鉄道の車両の展示が始まったとか。

永野さん
木次線でもC56の逆機がありましたか。33‰を登るブラストを間近に聞けたのですね。
ドイツ機の制限速度、用途によってテンダの設計を変えて制限をなくしてしまうのはいかにもドイツ的合理主義ですね。
100km超での逆向き運転というのもすごい話です。


[No.9057] バック運転  投稿者:永野晴樹  2011-08-07 (日) 02:10

 暫らくご無沙汰致しております。その間に蒸気機関車のバック運転についての記述がありましたね。確かに昭和30年代後期のビクトリアル誌のC56特集では、C56はバック運転の際にしばしば脱線事故を起した為にバック運転をしないようにしている‥との記述が国鉄の専門家の記述にありました。所が昭和40年の8月高2の時に木次線、宍道発出雲横田行き列車に乗車しましたが、木次まではC11が客車3両を牽引、25‰の勾配を物凄い排気音と共にノロノロとよじ登っていく姿に驚きました。更に驚かされたのは木次で客車1両を切り落とし、C56のバック運転による牽引となった事であります。当時ビクトリアルの記事を読んでいたので、大変驚きました。しかし木次から先は33‰の急勾配が連続するのでC56が、いくらバックだと言ってもせいぜい15km/h程度しか出せないので、運転できたものと思われます。それではドイツの蒸気機関車ではどうかと言うと、急客機01形などは前進130km/h‥後進50km/hとなっています。また幹線用の大形貨物機44形3シリンダー機の場合、初期のものを除いて前進80km/h、後進50km/hです。しかし亜幹線用の50型貨物機では、支線などにはターンテーブルがない所もあるので、前後進とも80km/hですし戦時形の52型も同様です。さらに戦後東ドイツ製造の準急などの軽量優等列車にも使用可能な23-10型は前後進とも110km/hです。これらの事柄から明らかにテンダーの設計によって後進の際の最高速度が決められている事がわかります。因みに後進の際の最高速度の低い形式については、通常用いられるテンダーを用いた値であると、記されています。以上の参考文献は篠原先生の全盛時代のドイツ蒸気機関車であります。ただし、小生の体験では東ドイツにおいて、ある時01形が準急の最後尾にバックで連結、小生の速度測定では120km/hは出ていたのには驚かされました。私見ではドイツの連結器は左右にバッファーを装備している為に、列車後尾にバックで連結した場合もテンダーの走行の安定性があるのではないか?と思ったりしています。 

[No.9055] 庁南と長南  投稿者:伊 謄  2011-08-04 (木) 07:29
  <URL: http://ramblersplace.cocolog-nifty.com/monooki/sl/8-kawa/69636-1.JPG>

 こんにちは。
 長南町という名称は1955年以降ですから、人車の時代はすべて庁南が正しいでしょうね。
 この人車は一度見に行きました。

[No.9053] 続・みどりの窓口  投稿者:燕号  2011-08-03 (水) 11:43

 こんにちは、燕号です。
 私もみどりの窓口での不思議体験を。私の地元の駅で-関西本線-中央西線-篠ノ井線-信越線-磐越西線-東北本線-東海道新幹線-名古屋駅と名古屋駅を2回通る一筆書きのキップを発行して貰いました。当初は名古屋発着で考えていたのですが、駅員さんが発行出来ると言うので頼んでみたら、アラ!本当に発行出来ました。マルスの操作をみていたら、線区別に駅名が表示されていたので、関西本線や中央西線、新幹線で表示される名古屋駅は別個の扱いになっているのではと想像してました。
 概ね窓口の対応は良くなっている様に思います。ある時は時刻表の記述の理解に疑義が生じ、旅客運輸司令室に問い合わせてくれたりする真面目な駅員さんもいます。反面、雪で遅れた東海道新幹線から東北新幹線への最終乗り継ぎで「会社が違うので連絡を取るのか判らん」とまるで教科書に書かれた悪い対応そのままの車掌さんもいます。

[No.9052] みどりの窓口  投稿者:水の丘  2011-08-02 (火) 21:50

私たちの様に既に旅行プランも買う切符も何もかも決まってる人は窓口、
旅行相談はびゅうプラザとかJTBとかの旅行センターを使って欲しいですよね。
東京駅や上野駅なんかの大きな駅のベテラン駅員さんなんかは旅行相談をしようとする人達に
「そういうのはあっちに専門の窓口あるから!」と弾いてくれるんですけどね。
今の新人駅員さんたちは人がよすぎる。というか周遊きっぷを買うときなんかは駅名やルールを
知らなさ過ぎるんで、ついつい私も大声になってしまいます(短気なんで)。
前に福島(大阪)で降りる予定で「大阪市内」といったのに「大阪まで」のきっぷを
吉祥寺のびゅうプラザに渡されたことがありましたしね・・・。
どんな器用な技なんだよ・・・。

サービスの拡充もいいんですけど、基礎の「学力」は身につけて欲しいものです。
昔の国鉄職員は全国全駅名・全路線名を暗記させられたそうですが、今はどうなんでしょう?


[No.9050] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-31 (日) 23:28

足尾歴史館5月の運転会の様子
http://c5557.kiteki.jp/html/asio-rekikan2011-5.htm
千葉の片隅にあった人車軌道、よくぞ残っていた車体
http://c5557.kiteki.jp/html/mobara-zinsya.htm
終着駅は現在一番新しい終着駅
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-302.htm

[No.9049]  投稿者:TADA  2011-07-29 (金) 23:40

田駄さん
お得なキップの情報ありがとうございます。
券売機で買えるのは良いですね、以前この手のきっぷを買おうとしてみどりの窓口に並んだのですが前の人が異様に時間がかかり、乗る予定の列車が行ってしまったことがありました。

[No.9048] 銚子へ行くなら  投稿者:田駄雄作  2011-07-29 (金) 07:52
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

パワフル×スマイルちばフリーパス」をご利用ください.
千葉県内JR線全線(鹿島線全線ふくむ)+いすみ鉄道+小湊鐵道+銚子電鉄の全線が乗り放題で超お得な1800円です.特急にも料金払えば乗れます.
今月は31日まで使えます.8月は20-31日.
千葉県内のJR線駅(券売機に入ってます)のみの発売なので,都内からであれば市川駅で途中下車か,メトロ東西線で西船橋.都営新宿線で本八幡からがよいかと思います.

ちなみに市川-銚子,通常の片道運賃が1890円です.


[No.9047] 週末のイベント  投稿者:TADA  2011-07-28 (木) 20:59

30日(土)銚子電鉄仲ノ町でミニイベントがあります。
http://www.choshi-dentetsu.jp/ibento/ibent110730.pdf
震災以来銚子も観光客が激減でぬれ煎餅の販売も低調だそうです。
18きっぷシーズンでもありますし、この機会にぜひどうぞ。

伊 謄さん
東京のすぐ近くでこういった光景が見られたのですからねぇ・・・
今この場所は住宅が立ち並んでいるのではないでしょうか。

RREさん
鍛冶屋駅は行ったことは記憶していたものの、どんなところだったかはさっぱり覚えておりません。
写真もこのヒトコマだけで、せめて駅舎くらい撮っておけばと。


[No.9043] アップのお知らせ!  投稿者:RRE  2011-07-25 (月) 06:48
  <URL: http://www7a.biglobe.ne.jp/~rre/index.htm>

TADAさん 暑中お見舞い申し上げます。
新作の終着駅、拝見しました。鍛冶屋線とは懐かしいですね。
小生、地元ながら学生時代に一回乗り潰しに行った程度で、
何時の間にか廃線になってしまいました。加古川からは加古川
線よりもむしろこの支線に乗り入れる系統の方が多く、結構
賑わっていたのが印象的でした。

さて、弊サイトは本日、本年3回目の更新を行いました。
今回のアップは、
 砂利輸送から大手への大躍進 -「相模鉄道」
 坊ちゃん列車の走る路面電車 -「伊予鉄・松山市内線」
 全国を席巻した急行型気動車 -「国鉄・キハ58系DC」
の3コンテンツです。どうぞご笑覧下さい。


[No.9042] 八高線のバック運転(96)  投稿者:伊 謄  2011-07-25 (月) 00:43
  <URL: http://ramblersplace.cocolog-nifty.com/monooki/sl/8-kawa/69636-1.JPG>

 こんにちは。またバック運転です(笑)。
 今回は八高線の96で、高麗川を出て東飯能へ築堤を登っている所です。

[No.9041] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-24 (日) 23:19

保存車は期間限定もの
武田さんがふれられている江戸東京博の都電6086、函館排4とヨヘロのモックアップ
http://c5557.kiteki.jp/html/edohaku2011.htm
老神温泉のボールドウイン、群馬DCの一環なのですがほとんど広報されていません。
http://c5557.kiteki.jp/html/oigami-onsen.htm
終着駅は「原」のつかないほう
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-301.htm

伊 謄さん
ご紹介ありがとうございます。
テンダ機の逆向き牽引は小運転だと全国各地で見られましたが呉線のように大型機がしかも何本も、というのは別格ですね。

武田さん
ご連絡ありがとうございます。
思わぬ形で里帰りした排4号ですが、昔のことでもあって譲渡の背景や年代などの記述が?なものも見かけます。
丁寧に調べられた武田さんのサイトを見れば分かることなのにと思いました。


[No.9040] 東京の交通100年博  投稿者:武田光司  2011-07-23 (土) 18:17
  <URL: http://wakouji.sakura.ne.jp/hakodate/>

こんにちは

TADAさん、内藤さんからご提供いただいた写真を、掲載させていただきました。

「はこだての路面電車」 http://wakouji.sakura.ne.jp/hakodate/

  写真館⇒都電⇒東京の交通100年博

お時間のある方は、ご覧いただければ幸いです。


[No.9039] C59のバック運転  投稿者:伊 謄  2011-07-23 (土) 11:37
  <URL: http://ramblersplace.cocolog-nifty.com/monooki/sl/c59162-2.JPG>

 こんにちは。
 URLは、電化直前に撮ったC59のバック運転の写真です。
 非常に静かにやってくるので、近づくまで気づかないですねぇ。

[No.9038] 板橋〜大宮間の貨物列車  投稿者:伊 謄  2011-07-22 (金) 22:07

 こんにちは。
 60年代後半まで残っていた板橋〜大宮間の貨物列車ですが、板橋にはターンテーブルがありませんので、板橋発の下りがD51の逆向き運転でした。
 ネットで見つけたページは http://c50115.at.webry.info/200502/article_8.html です。

[No.9036] 追加です  投稿者:TADA  2011-07-20 (水) 23:20

八高ヤード装飾機D51882に白い国さんご提供画像を追加しています。
http://c5557.kiteki.jp/html/D51882.htm

[No.9032]  投稿者:TADA  2011-07-19 (火) 21:56

田駄さん Nittaさん
引き続き逆向き運転の件、コメントありがとうございます。
旅客列車の逆向き牽引は短区間ならばけっこうありそうですね。
1971年の運用表の載っているピク増刊でも調べようかと思ったのですが見つからない・・・

[No.9031] C62のバック運転  投稿者:Nitta  2011-07-18 (月) 20:05
  <URL: http://www.photoland-aris.com/myanmar/>

(横レス失礼致します)
呉線におけるC62のバック運転の映像は、DVD化されている高林陽一氏監督の
「すばらしい蒸気機関車」の中に収録されてますね。でかいテンダーファーストで
前方確認し難いのか、機関士さんが身を乗り出してらっしゃるのが見られます。
私自身、テンダー機のバック運転は、臨港線へ入っていくD51がバックな
のを1970年に名古屋駅で見たのが初見でした。

[No.9029] ということは  投稿者:田駄雄作  2011-07-18 (月) 14:23
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

呉線や筑豊線の逆向き旅客列車は35km/h以下で走っていた,と云うことなんでしょうね.
定期旅客列車の逆向きは山田線のC58が大槌-釜石間にも日中ありました.逆向き運転の速度制限は脱線云々よりも前方視界の問題化と思います.

大夕張鉄道は距離の短い路線でしたが,区間運転を含めすべて前向き運転でした.お隣の夕張鉄道は栗山-鹿ノ谷間の列車は逆向き牽引でした.美唄鉄道や日曹炭礦も逆向き運転でしたね.考え方と労使関係なども影響しているのでしょう.大夕張の96はすべて自動焚き口戸に改造されていて,両手ショベルの投炭をしていました.

大きな声では言えませんが,昔の国鉄の規則は建前的なところも多く,速度制限などは+20km/hが当たり前,という話も聞きましたし,飯山線では←キ100+C56130+逆12199のラッセル回送列車と雪道の中私の運転するクルマと100km/h近い速度で並行道路をサイドバイサイドのバトルをしたことがあります.
C53などは130km/h以上は当たり前だったと,当時現役だった機関士さん(私の遠縁に当たる人です)からうかがったこともあります.

私が学生時代でも,中央線や西武線!などでも100km/h以上の暴走運転する運転士さんがいました.


[No.9027] 本日のUP  投稿者:TADA  2011-07-17 (日) 22:57

大井川鉄道1979・8の続き、101レ川根路号到着
http://c5557.kiteki.jp/html/ooigawa1979-8-5..htm
保存車に武雄温泉のC11259
http://c5557.kiteki.jp/html/C11259.htm
松浦鉄道たびら平戸口駅の鉄道博物館
http://c5557.kiteki.jp/html/tabira-hiratoguti.htm
終着駅は300回、100、200回同様日本一の駅
http://c5557.kiteki.jp/html/syuutyakueki-300.htm

スローピングバックテンダのC56は本来逆向き運転に備えての装備だったのですが、それを禁じ手にされてしまったのは皮肉というしかありません。
9600などもテンダは3軸、従輪なしですが問題はなかったのでしょうね。
C56の逆向きは末期の三江線で見られましたが、これは水害で不通区間があったための処置で、これ以外では伊 謄さんご紹介の小海線の野菜臨の他はみかけませんね。
水の丘さんの書かれた逆後補機の両頭列車も小海線の野菜出荷対応ですね。


[No.9026] C56のテンダは軽かった  投稿者:伊 謄  2011-07-17 (日) 02:11

 こんにちは。
 86、96、C50のテンダですが、これらは6-13型であるのに対し、C56は5-10型で軽いんですね。当初にバックで脱線しやすかったのは、そこにも原因があったのかもしれません。
 ところで、C56のバック運転ですが、小海線での野菜臨がいちばん写されていたのではないかなと思います。野辺山と小淵沢の運行でしたが、野辺山に転車台がなかったために、小淵沢行きが逆行だったようです。

[No.9025] 嵯峨野にて  投稿者:水の丘  2011-07-17 (日) 00:00

C56の運転席に座りましたが、現在のDE10形やDE11形の様に横向きに座って、
どっちでも運転できるようにはなってたみたいですね。
運転席の窓にくっついてる肘掛みたいなものが実は高さをある程度調整できる背もたれだった
というのは驚きでした。
図書館で読んだ本で小海線の混合列車か貨物列車の写真で機関車の向きが「←客車&貨車→」となっている写真(煙の向きは←方向)を
見たことがあるんですが、これはOKだったんですかね?

[No.9024]  投稿者:TADA  2011-07-16 (土) 23:42

テンダ機のバック運転について、何に書かれていたかなと思っていましたが、すでに多くのレスいただきありがとうございました。
私も燕号さんと同じく漠然と国鉄がJR化された折の規制緩和で、と記憶していました。
国鉄時代は45kmかと思っていましたが、それだと大井川での運用の変化には影響出ませんから、やはり35kmだったのかと。
C56の逆向き運転も回送で牽引されているときにも適応される制限なのか、1Cの車軸配置の8620やC50などではこの問題はなかったのか、などつらつら疑問が広がっております。(笑

[No.9023] バック運転  投稿者:燕号  2011-07-16 (土) 22:30

 こんばんわ、燕号です。
 バック運転と言えばC56なら三江北線のC56、筑豊地区のキューロクが頭に浮かびますが、いずれも脱線の話は余り聞きませんね。聞かないだけで実際は発生していたのかも知れませんが。

 C56のバック運転に関しての脱線云々の話も列車先頭だから脱線しやすいのか、バック運転そのものが脱線しやすいのか判らなくなってきました。そもそも本当に脱線しやすかったのかも含めてですが。
 私は車輌の軽さと従輪の無い事がバック運転における脱線しやすさに繋がっていると思っていました。「北びわこ号」のC56160は運転の度に梅小路-米原間の東海道をDD51やEF65に牽かれて回送されていますが、帰路はバックで、しかもかなりの速度で回送されています。又、以前は「北びわこ号」ではバックで客レの牽引していました。問題は機関車だけにあったのでは無く、C56が投入される様な線区の保線、線路状態にもあったのだろうと思えます。

 大井川にC56が入った時、上りも正面で来たので、運転方法が正行に変わったのだと勘違いしてC11を線路際で構えて、真っ黒な四角い箱写真を撮ってしまった苦い思い出があります。


[No.9022] 小馬はウシロに走れない  投稿者:吉野富雄  2011-07-16 (土) 21:38
  <URL: http://www42.tok2.com/home/c11190/index.htm>

 こんばんは。C56のバック運転について補足させていただきます。

「レイル myrail」1979年6月号に寺島京一さんによる「機関車史のうらばなし」という記事が掲載されており、6月号には第13回として、C56のバック運転について紹介されています。タイトルはこの回の副題です。
 この記事によれば、C56の登場から間もない昭和11年に、小海線と七尾線で相次いでC56バック運転時の脱線事故が発生したということです。両方とも後進推進、つまり客車や貨車を先頭にした状態における脱線事故でした。事故時の速度は小海線が28-30km/h、七尾線は15km/hで、かなりの低速でした。
 当時小海・七尾線を管轄していた名古屋鉄道局では、片開き分岐器の曲線をC56単機で(逆行?)通過させて、各位置の動輪フランジとレールとの接触状況を測定するという実験を行いました。実験には小海線の事故機C5626とC5623の2両を使用したそうです。

 その結果、
・C56形は動輪の横遊間が少ない。(第1動輪で左右3.8mmに対し、第3動輪では、2.8mmしかなく、急曲線においては、動輪が競り上がりやすい)
・C56形は、横圧に対して軸重が軽い。
・急曲線、急勾配線区に使用したこと。
・推進運転に使用したこと。 
 以上4点を脱線の原因として考えられる、としています。
 これらの実験結果をふまえて、C56形のテンダー前頭運転は、脱線の恐れがあるから、これを禁止することが必要で、特に後付補機に使用することは厳重に制限するよう結論づけています。

 寺島さんは、当時の国鉄(鉄道省)は、この実験結果を受けてC56のバック運転をほぼ全面的に禁止したのではないかと推測されています。 そして、「従輪のない、軽量のテンダー機の悩みは、最後まで構造上の欠陥としてつきまとったのではないか」と結んでいます。

 田駄雄作さんの書き込みにある「C56は脱線しやすいのであまりバック運転はしなかった〜」というのは、この実験結果に基づくものでしょうか。ただ、大井川鐵道や北びわこ号などでC56が脱線したという話は聞かないですね。JR(国鉄)線であれば、線路の状態が改良されていると思われますし、大鐵も戦前の簡易線に比べれば整備が行き届いているということになるのでしょうか。

 前回の私の書き込みでは、国鉄時代のテンダー機バック運転は全て最高速度が35km/hに制限されていた、という解釈になってしまいますが、呉線のC62バック運転による旅客列車の映像記録を見ると、もっと速いように感じます。従輪のあるC62では、C56とは条件が異なるのでしょうが、実際の運用はどのようになっていたのか興味深いですね。


[No.9021] C56のバック運転  投稿者:田駄雄作  2011-07-16 (土) 14:39
  <URL: http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/>

C56は脱線しやすいので国鉄時代はあまりバック運転はしていなかった,と聞いていますが,大井川やC56160では脱線したと云う話は聞いてませんね.以前とは線路状態が違うのでしょうね.

以前琵琶湖号は,毎日梅小路から米原まで有火で回送されてたことがありますが,PF牽引で結構な速度で走って,C56も力行してました.並行する快速電車も簡単に抜けませんでした.


[No.9020] バック運転の記憶  投稿者:伊 謄  2011-07-16 (土) 09:52

 こんにちは。
 昔の記憶から(笑)、テンダ機のバック運転を引き出してみました。

1.外房線
 房総東線時代の86の貨物ですが、大網から茂原までの下りがバック運転でした。
2.総武本線
 小名木川などに転車台がありませんから、新小岩操車場から小名木川方面へはバック運転が基本でした。
3.八高線
 見ているのは高麗川〜東飯能間だけですが、96の上り貨物とD51の上り回送で出会っています。
4.常磐線
 水鉄局のC50の回送運転は上下線ともバックでしか見ていません(笑)。
5.呉線
 C59牽引の上り普通列車で出会っています。

 出会ったのはこれくらいでした。


[No.9018] バック運転  投稿者:燕号  2011-07-15 (金) 21:50

 こんばんわ、燕号です。
 吉野さん、詳細な解説ありがとうございます。なる程、そう言う規則の改正があった訳ですね。C56が走る日には、翌日も運転が有ると夕刻に、翌日の運転が無いと101レの前のスジで千頭迄機回しの為に電機で回送をしてました。運転の為には随分な苦労があるなあと思っておりました。

 所で45キロ規制ですが、キネマ旬報社の蒸機誌の何号だったか失念しましたが、美祢線のD51バック運転で「45キロ規制を受ける」旨の記述が有ったと記憶しています。従って大井川のC56も当初より45キロ規制だと思っておりました。しかし、バック運転は’87年当時でも「JR化による規制緩和の恩恵」と言われておりましたので、バック運転に関する規制が国鉄と私鉄で違っていて、JR(私鉄)化による一元化で一律旧国鉄の規制値(45キロ)の採用となったのではと自分なりに思っておりました。

 省令公布前はどういう運用だったのでしょう。


[No.9017] テンダー機のバック運転についての規則  投稿者:吉野富雄  2011-07-15 (金) 21:00
  <URL: http://www42.tok2.com/home/c11190/index.htm>

こんばんは。横レスにて失礼ですが、テンダー機のバック運転について書き込みさせていただきます。

 鉄道運転規則の第87条では、
「列車は、炭水車付きの機関車を逆向きにして操縦する場合は、四十五キロメートル毎時を超えない速度で運転しなければならない。ただし、列車の最前部以外に連結する場合は、この限りでない。」
と規定されています。
 この規則は昭和62年3月2日に運輸省令第15号として制定されたもので、国鉄分割民営化のためにつくられたと考えてよいでしょう。
 一方、「鉄道ダイヤ情報」の1987年4月号には「(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化にともない、蒸気機関車の運転規則が改正され、テンダー機関車のバック運転最高速度35km/hが45km/hとなり、(大井川鉄道の)C56のバック運転が可能となります。」とあります。
 燕号さんが推測されたとおり、JR発足にともなう規則改正が、C56のバック運転を可能にしたということになります。

 ということは、この規則ができる前(昭和61年春)に行われた、武豊線や東海道本線におけるC56160のバック運転は最高速度が35km/hに制限されていたということになるわけですね。

 今年10月には、新金谷駅構内に転車台が完成して、大鐵蒸機のバック運転も家山折り返しなどを除いて見られなくなります。正向運転の方が絵になることは事実ですが、特徴あるテンダーを前にしたバック運転が見られなくなるのも寂しいですね。


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