〜舞!組曲 掲示板〜 |
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<わらってかわせみ 様 どうもです!
>旧南信濃村の道路の状凍結況はいかかがでしたか
前夜に雨が降りましたから、早朝の帰宅時には凍結が心配でしたが、
さほど凍結している箇所は見られませんでした。しかし部分凍結で
油断していて痛い目に遭ったことがありますから、さすがに運転は
慎重になりました。
タイヤは、奥能登へアエノコトの撮影に行く前に、スタッドレスタイヤ
に替えてます。
>最近は見学者やカメラマンが多そうで出かけても見れるのかな
11日(土)からは、木沢と上村上町と開催が重なりましたね。木沢は
湯切りまで撮影済みですが、上村上町では未だなので、今回は上村上町
に行きました。木沢では公式記録撮影のため、フラッシュお断りって
なってましたから、フラッシュを使いたい人が皆、上村上町に流れて
きたのではないかと思うほど、パニック的にアマカメラマンが多かったです。
湯切りの時など、みんなが前へ前へと出るから、ほとんど釜にかぶりつ
き状態でした。離れた方が、皆が撮影できるのに、残念なことです。
最近はアマカメラマンが居ないような祭礼ばかりの撮影が続いてました
ので、カメラポジションの確保だけでも今回は気疲れしました。
<さぎ草 様 御高覧下さり、どうもです!
>煙が凍りそうな寒さですが、前後の煙
仰る通りです(笑)。吹き上がった煙が凍って、ダイヤモンドダストの
ようになって降りそそぎます。結局、煙から排気した蒸気って水分です
から、気温が低いほど豪勢な煙となって舞い上がり、そして降りそそぎ
ます。汽車の通過後に、あれ?雪かな?って思いますが、煙の氷なんですよ。
ここは急勾配のため、前に2台の機関車そして後ろに1台の機関車で、
貨物列車を引き上げてます。前後の煙は、貨物の前と後ろの機関車の
出す煙なんです。
<さぎ草 様 HPのUPをご覧下さり、ありがとうございます!
>田の神様に感謝して自宅でおもてなしをするという
昔は奥能登の農家の一軒一軒が、UPした写真のような祭儀を行っていたらしいです。
そこまで大規模でなくとも、今でも12月5日は田の神様の日として、神棚や仏壇などに
お供えをされる家は多いらしいです。家の御主人は、田の神様にご神饌
の品々を一品づつ丁寧に紹介されます。田の神様は目が不自由だからだ
そうですが、それは後付けかもしれません。レストランで料理が運ばれてくると、
「これはヒラメのコートダジュール風…」(?)とか説明してくれますが、
ようするにアエノコトでも同様に心を込めたおもてなしとして、料理の
一品づつを紹介されるのでしょう。神様が、まさに目の前にいらっしゃるかの如くです。
神様がいらっしゃると思えばこそ、誠心誠意おもてなししようという自発心から
自然と祭儀が行われるようになるのでしょうね。
<わらってかわせみ様 HPのUPを御高覧下さり、どうもです!
>北陸新聞社!民間信仰でも新嘗祭や祈年祭とは・・・
祈年祭はともかく、新嘗祭というのは、柳田國男氏が定義したアエノコト像なんです。
北陸新聞は、その説に沿っているのでしょう。祈年祭は、時期的に相当す
るということで引き合いに出てるのだと思います。
アエノコトが始まったのが、江戸時代中期頃と考えられていますから、
宮中の祭儀との起源の同一性うんぬんは強引ですが、内容の類似性は認
めても良いと思います。
ただ、神様に対して感謝するにはどうしたらいいかと、人間の考えることは
似てくるのでしょう。新嘗祭とアエノコトが同時期に行われるように
なったとか、アエノコトが新嘗祭の原型とかいうことではなく。
いろんな処で不思議な説明を見ますよね、、例えば、神楽の起源は
アメノウズメが岩屋戸の前で舞ったのが始まり、とか。アメノウズメっ
て実在だったの?誰か見てきたの?とかツッコミ入れたくなる説明有りますでしょう、であれば アエノコトだって、と思えてしまいます(汗)。
>しかし田ノ神様が夫婦だったとは知りませんでした
奥能登の「田の神様(アエノコト)」では、夫婦の場所も男の神様一人
あるいは三人と考える場所とか、いろんな考えがあったようです。
<さぎ草 様 HPのUPをご覧下さり、どうもです!
>現役なのですね。
やっぱ一般的には“現役”という感覚でしょうね、公園で剥製のようなって
動かない機関車ではないですから。大井川鉄道で蒸気機関車が営業用に
復活したのが1976年ですから、もう34年にもなります。その時に生まれた赤ちゃんが
もう中年になりかかっている現実、やっぱ“現役”なんでしょうね。
ただ、私のように昭和50(1975)年に国鉄の蒸機が廃止になる前からの
蒸気機関車ファンにとって、架線の下を走る蒸気機関車は違和感を持ちつつの撮影です。
こればっかりは仕方有りません。写せること自体が、ありがたいことですが。
撮影では、できるだけ架線や架線柱が目立たないように心がけています。
蒸気機関車の撮影で、架線や架線柱が目立たないように撮影することは
大切です。
現役なのですね。そういえば「貸切 大井川お座敷SL列車」というのをみました。 乗ってみて写し外からも写してみたいですね。
14年ぶりのインドネシアからのお便りよかったですね!長いこと感謝しておいでだったのですね。
<Mr.Yang.様 Blogをご覧下さり、どうもです!
>デッキのない新型に乗務すると 旧型のデッキは安心感があった
運転台の前にデッキが有ると無いでは、運転士への安心感が違うのですね。
先台車があると、カーブやポイント通過時の安定感もあるように思うの
ですが、EF60以降は先台車が有りませんから、この点も心理的な事なんでしょうね。
添付写真のEF15、スノープラウ装着で精悍な顔ですよね。前窓のひさし
やフィルター枠のリベット、そしてナンバープレートなど無骨さも味わいがあります。
蒸気機関車に例えるなら、なぜかD51よりキューロクってイメージに思えます。
EF15の横顔 良い顔つきですね。
<Mr.Yang.様 Blogをご覧下さり、どうもです!
>大宮近郊は EF15が引く貨物列車が頻繁に走っていましたが
関東地区は、EF15が多かったですね。旧型電気機関車の貨物用としては、
完成形だったのでしょうね。両数も旧型の中では一大勢力でしたし。
EF57の牽く旧型客車の列車、当時はEF58との共通運用でした。EF56が休車になってましたが、
EF57はまだまだ大丈夫と思ってました。万が一でもEF58に取って代わられるかと思えば、
EF58が少々ヒールっぽくも思えました。それがEF58どころか客車まで
廃止になるとは、その時点では全く予想だにしてませんでした。そのうちに
写せばイイや、と思いながら逃がしたシーンは、多いと思います。
EF15、近々にUPしますので、またどうぞ御高覧下さい。
<凡 様 どうもです!
>三岐鉄道のED301形電気機関車は元は南海電鉄のED5201形でした。
とんでもなく細かいこと、よく知ってますね(笑)。
貨物列車は私鉄は云うに及ばず、JRでも少なくっていますね。
オバマ君が提唱したアメリカ高速鉄道網は、貨物線をそのまま使う案で
安上がりを狙っているらしいですが、貨物輸送で成功しつつある各鉄道
会社は使われることに難色を示しているらしいですね。日本では東海道線なんかはかつて、
特急や急行の合い間を縫って、多くの貨物列車が走っていたのですが、
それらの優等列車を廃止にして新幹線に旅客を振り分けた今、ダイヤの
スジは空かすかで、貨物を充実させようと思えばできるのですが、、、。
といっても、大部分の操車場が跡形もなくなっており、貨物を復活させるには
難題が多いのでしょうね。場当たり的で、先の展望が無いから、エコな
貨物輸送を充実させようにも難しくなってますね。
私鉄で鉄道博物館を持っている処は少ないですね。大手ほどケチで。
三岐鉄道の貨物博物館とか、走る博物館の大井川鉄道なんて、地方小私鉄
なんですが、そのような鉄道会社の方が、大手にできないことを頑張ってますよね。
<凡 様 どうもです!
>大阪市内が高架になっていてビックリしました。なんかどんどん時代とずれていってるみたいです
大都市内部の線路が高架になるのは、踏切りの渋滞緩和や安全性から望ましいことですが、
線路が生活圏から隔離されていくような感じもしますね。線路って、
普通は子供の遊び場所の一つでしたけど。線路に硬貨や蛙を置く、線路に耳をつける、、、
拙職場に出入りする人は、石を投げて当てて遊んだとか、、、今なら
新聞沙汰です。しかし線路は、生活圏の一部だった。今では列車が生活圏の一部だとしても、
線路が生活圏って感覚は大都市ではないですね。
>この頃だったら南海電車にも、まだ貨物用の電気機関車が有ったはずです。凸型のやつでね
南海電車の貨物とは、どんな機関車だったのかなぁ〜。今では貨物輸送
をしている私鉄は、ごく一部しか無いですね。三岐鉄道、岳南鉄道に秩父鉄道くらいでしょうか。
明日は、三岐鉄道の貨物をUPしますョ。
<浮世蜻蛉 様 どうもです!
写真展会場となる喫茶店の雰囲気も満点でした。店内にレトロカメラや
写真雑誌、そして一角にはスタジオを兼ね揃えていらっしゃるのには
驚きました。写真が好きな人が集う喫茶店でしょうから、ご覧頂いた
人からの反応も楽しみでしょうね。今月いっぱい、頑張って下さいね。
<凡 様 御高覧下さり、ありがとうございます!
>消滅しそうだった史跡ともいえないような土盛や溝が後年立派に整備
整備も、裏付けがあればいいのですが、、、北政所の腰掛石とか、有りましたね(笑)。
整備した人が、信じて腰掛石を作ったのか、半分冗談か疑問なのが各種
歴史上の人の腰掛石ですね。天ノ羽衣掛けの松とか、あっ天女って実在
していたんだっ?!とかね(笑)。整備されるのが、れっきとした神社
や教育委員会だったりすると、ええんか?的な整備も有ります(汗)。
>若い頃は新しいものは古くなるという事が解らなかったんですね
なるほどね。若い時は、時間って有り余るほどありますから、発展途上
においては老朽化ということが理解できてなかったのかもしれませんね。
明日は、関西方面の旧型をUPしますョ。また見てください。
<凡 様 Blogをご覧下さり、どうもです!
>JRじゃなかった国鉄横須賀駅でEF10の1号機を見たことがあります
話題を旧型電機にふってくれたので、北鎌倉のEF12を今夜はBlogにUPしました。
旧型電機は、当時は山手線のホームで電車を待っている間にも、山手貨物線を
長大な貨物を牽いてモーターを高らかに唸らせながら通過していく姿が
魅力的でした。
旧型電機の山手貨物も、そのうちに写せばイイや、と思っている間に廃車になりましたし、
やっぱ撮れる時に撮らなきゃダメですね。旧型電機は蒸機と違って、
廃車になるときも「さよなら運転」とか無かったので、いつ廃車になったかも記憶にありません。
カメラ、ぜひ再開して下さいな。“その時”が残りますから、写真はいいですよ。
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