〜舞!組曲 掲示板〜 |
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阿蘇市は7月12〜14日ころの豪雨で甚大な被害が出たと名前の出ていた処です。
実際、どのような状態か行くまで不明でした。事前にチェックしていた
阿蘇市のHPでは、観光施設は全く問題なく一部を除いて通常通りとのことでした。
一部の報道でも取り上げられたことがあったように、阿蘇市というだけで
壊滅的なイメージの風評被害で観光客が激減し、阿蘇市のHPも観光客の
誘致に必死のニュアンスでした。
実際に熊本市から阿蘇市へ国道57号線を走っても被害は見られず、田畑も
被害があるように見られず、農作物被害も無さそうでした。
ただ、被害に遭われた場所は近年の雨がそうであるように、恐らくスポット的に
殺人的な降り方をしたのだと思います。僅かな場所の違いで被害が出たり
無傷であったり、近年の異常な気象状況での予測がつかないゲリラ的な
豪雨に、いかに脆いか露呈した雨だったと思います。
そんな自然の驚異を目の当たりにし、豊穣を願う「おんだ祭」は、神様に
自然への畏怖と荒ぶる脅威の鎮魂のための重要な儀式だったと思います。
何事も無く無事に収穫ができるように、祈りが通じるよう願うばかりです。
< さぎ草 様 どうもです!
>旧北陸線、杉津・山中越え(21)とありますが
この日は敦賀のお魚広場へ案内するからと、妻を同行させました。
その後に杉津・山中越えに行ったのですが、約25kmの距離を
2時間半かけて移動しながら撮影しました。さすがに妻に申し訳ないので
それ以上はしつこく探訪しませんでした。 蛇の出ない季節になったら
また探訪しようと思ってます。見落とした遺構が有ると思います。
特に、小川にかかる橋梁をそのまま自動車道路に転用したのとか、有るかもしれません。
廃線跡も、蒸気機関車が走っていたかと思うと興奮します。廃線跡は
まれに有るでしょうけど、蒸気機関車が走っていた線路跡を、そのまま
自動車で走ることが出来る箇所って、そうは無いと思います。
>トランペットが一階最後列にいた私にはまるでモハメド・アリのストレートパンチをくらったような衝撃でした
今夜の日経新聞には、イギリスのブリテンなんぞのオペラの話題が載ってました。
あまりイギリス人作曲家が注目されることが無かったのだが、ブリテン
などは“日本人歌手向き”なんだそうです。ワーグナーなんぞは、日本人には
声帯からいって無理があるそうです。同様に、後期ロマン派の管を聴いていると
日本人が欧米の肉ばかり食ってプロレスラーのような体型の管楽器奏者
のような音を出すのは、どだい比較しても無理かと思います。
朗々と鳴るヴァーグナーやブルックナー、狂気のマーラー、、、
あああ〜〜〜って管の音が掠れたり裏返ったり外したり、いろいろ
クリアーしても、後期ロマン派の弩迫力はやっぱ欧米のオケには敵いませんなぁ。
>伊福部先生の「シンフォニア・タプカーラ」
CD、持ってなかったので、帰宅後に直ぐWEB通販をポチってしちゃいました。
もう今日、着きました。広上淳一指揮・日本フィルです。
だいたいこの手のCDって、何枚くらい出るんかのぉ〜。数百枚も出たら
売れた方でしょうね。
私は今日大植英次指揮大阪フィルのコンサートでした。
モーツァルトの交響曲35番「ハフナー」とマーラーの5番でした。
モーツァルトは瑕疵はないんですがなんとも魅力の無い演奏で寝ることもできませんでした。やっぱり簡単なようでモーツァルトは難しいとあらためて思いました。マーラーも第一楽章は音がこもり、アンサンブルも揃わず先行きどうなることかと思いましたが、第二楽章からは持ち直し見事な演奏となりました。聴衆も満足げでした。
しかしマーラーの5番なあ。比較したらいかんのだけど昔ショルティ指揮のシカゴSOで聞いたときの記憶が残っていましてね。あの時出だしのトランペットが一階最後列にいた私にはまるでモハメド・アリのストレートパンチをくらったような衝撃でした。あれは日本人には出来んわな。
そういや山口百恵の歌に「ごめんね昔の人とまた比べている」なんて歌詞が有りましたな。比べるつもりはないんだけどなあ・・・
< 凡 様 どうもです!
>このコンサートに来る予定は無かったのですか。
ハロー!プロジェクトに所属メンバー、例えば モーニング娘。 とかの、
全体でのコンサートです。拙者は 真野ちゃんオンリー単推し ですから
ハローのコンサートは当地で一回 参戦するだけです。真野ちゃんが
一人で歌うのは2曲くらいですから。
ハロー!プロジェクトのファンで尚且つ真野ちゃんファンと云う人には
美味しいコンサートだと思います。だから、そのような人は、以後
ハロープロジェクトのコンサートに真野ちゃんが出ないとガッカリでしょう。
ただ、それだけのことだと思います。そのコンサートに掛ける稽古と
本番の時間などを、完全にソロとしての活動の時間に有効活用できるなら
卒業は大正解でしょう。
それにしても大阪で発表だったのか。
このコンサートに来る予定は無かったのですか。
総司様が庶民的な存在となりLOVEの対象となった功績に、島田順司氏の
存在は大きいでしょうね。彼の演じた沖田総司は、今で云う“草食系”でした。
町医者の娘にもまともに話せずドキマギする姿、それでいて反面は剣の
天才! そのギャップに“総司様LOVE歴女”が誕生したのでしょう。
LOVEの対象になるような歴史上の人物って、他には思い当たりませんね。
>我々も30年遅く生まれていたらもう少し違った人生を歩んでいたんでしょうか?
ん〜〜ん、、、可愛い歴女のコと“史跡めぐりDATE”していたかも。
真野ちゃんも「お城が好き」って云ってましたし。
30年前、「史跡めぐり趣味」なんて、人に言えない“ネクラ”な趣味でしたからね。
変わるもんです。 そうそう、ネクラって、最近は言わないですね。死語なのかな?
趣味だって、ネクラな趣味って何って思いますから。釣りのような以前は
オッサンの趣味だったのでも、釣り女とか居るご時世ですからねぇ〜。
女性は元気ですなぁ。
昔も新撰組だけは歴女がいましたね。目撃したことはありませんでしたが。隊士所縁の所にノートが置いてあって、総司様LOVEみたいな文言を綴っていました。
我々も30年遅く生まれていたらもう少し違った人生を歩んでいたんでしょうか?
んなわけないよな〜(笑)
>今若は後に阿野全成を名乗りますが、その子孫に南北朝の阿野康子が
>さらに幕末、錦の御旗をデザインした玉松操もその末流です
それは知りませんでした。その話で面白いのは、阿野廉子が後醍醐天皇
の陰で南朝を支えた人物に繋がる点です。そして幕末の錦の御旗。
何となく維新後の南朝正統論にも影響を与えたそうな匂いがする話ですね。
歴史という長い時間の流れの中でも、底辺に義朝と常盤のDNAが絡み付いていたのなら、
二人の源氏の世を、という願いは失われることなく何百年後かに開花し
た訳ですね。しかし、それが武士の世という形でなかったことまでは
二人も想定外だったことでしょう。
一昨日、野間大坊に参詣してきました。ブログには機会をみてUPしますが、
普段は参詣者も居ない境内が、次から次へと来てました。大河で放送された翌日ですからね。
やっぱ単なる歴史ファンというより、放送を観ての野次馬だと思います。
歴女も2人で居ました。私らが史跡めぐりを一緒にしていた30年前とは
様相が違いますね。
>益々 婦人層の視聴者を逃がすような描き方でしたよね(涙)
ここまで来たらもう視聴率なんか無視して、我々にとって面白いドラマに突き進んでいただきたいです。後年評価されるんではないでしょうか。婦人層向けだったと思われる「○姫」や昨年の「○」なんか私にはちっとも面白く無かったです。
>
< わらってかわせみ 様 どうもです!
>陵王はレプリカでしたが
同じ重文でも陵王だけレプリカが来るとは、どういうことでしょう〜。
展覧会の期間中に舞楽奉奏があったのかな。って、まさか重文の面を
普段に使っているってないですよね。陵王は別格ですかねぇ。
重文になるくらいですから、清盛時代の面でしょうかねぇ。
レプリカを展示するということで、チョイと疑問に思いました、、、
面って、何がオリジナルで何がレプリカなんでしょうね。レプリカでも
普段の舞で使っていれば、立派に“本物”になりますしね。重文の陵王面だって、
元はレプリカでしょうけどね。
__________________
< 凡 様 どうもです!
>話は変わって、甘い!甘いぞ清盛
ぬぁ〜んだ、結局は「清盛も美女に弱かった」ってことだけで歴史が
動いたンじゃないすか。新田義貞が勾当内侍を溺愛して尊氏を追討する
機会を失ったのも同類でやんす。 常盤御前も勾当内侍も、どんな美人
だったんでしょうかねぇ。まぁ、真野ちゃんを連想すれば、納得しますけどね。
しかし清盛が常盤御前と結ばれるシーン、もうちょっと丁寧に描けなかった
ものでしょうかねぇ。数年前のNHK大河「義経」の稲森いずみ氏と渡哲也氏(だったか)の清盛の時の方が、
うんと丁寧でした。今夜のシーン、あまりに性急すぎて、益々 婦人層の
視聴者を逃がすような描き方でしたよね(涙)。せっかくの清盛が主役
なんだから、後に影響を与える常盤御前を生かすシーンは不快感のない
描き方にして欲しかったです(汗)。 いきなり押し倒すのは、、、
武井の常盤御前も マグロ でした(苦笑)。
今回は見失いましたが利休の師匠である武野紹鴎や今井宗久の屋敷跡や
北向道陳の墓といった茶道関係の史跡がいっぱい有ります。時間があればゆっくりご案内したいものです。
話は変わって、甘い!甘いぞ清盛。
あの甘さが平家の滅亡に繋がるのに・・・
結局義朝の息子で殺されたのは悪源太義平だけ。あとは流罪が3人。
常盤の子供は3人とも寺に入れられただけ。
あーあの時全員切っていれば今の私も違った人生だったかもしれんのに。
お主ならどうする?
え、常盤御前が真野ちゃんならあっさり許していたって。
そーなるだろうな。男は美女に弱いのう。
なれ寿司が近江という地域集中で残っているのは、やはり琵琶湖・気候
など種々の要素が適していたからでしょうね。 ふなずし は新潟県の
長岡方面の一部で似たような なれずし が有るようですが、詳細が不明
です。地元民だけで細々と伝承されているだけでしょう。
和歌山県新宮市の 秋刀魚のなれ寿司、30年物 は25年位前にチャレンジ
しましたが、食べられませんでした。今なら大丈夫かもしれませんので
またチャレンジしてみたいです。ワインじゃないし、30年も醗酵させて
いたらドロドロですよ。
↓のURL、面白いですよ。
http://japan-web-magazine.com/japanese/japanese-food/narezushi-japanese.html
____________________
< わらってかわせみ 様 どうもです!
>国宝平家納経やら西行自筆の軸やら舞楽面が
舞楽面は、どこに収蔵されていた面でしょう?やっぱ厳島神社ですか?
平家納経も厳島ですよね? 清盛物をやるとなると、厳島の引越し展示
のようになる気がしますが、メインとなる収蔵所は違う場所でしたか?
舞楽面、当時のものなら貴重ですね。900年も前の面、今のと違う箇所は
お気づきになりましたか?蘭陵王ですか?
>奥様と祇園祭宵々宮と併せて浴衣で参戦はいかかがですか?
ありがとうございます。 でも祇園祭、写欲ゼロです(笑)。観光だけでも
人ごみを想像すると避けたくなりますのぉ〜。
マーラーですかぁ。
なんちゃってクラッシクファンのワタシとしては
マーラー、ブルックナーの峠は越えられませんでした。
ろりあえず1、2、10は持ってますが。
10はサントリーのコマーシャルの影響です(笑)。
あれだけは何遍も聴いてます。
平清盛展、盛況でしたよ。
本人のものでなく清盛がらみのもの中心でしたが。
国宝平家納経やら西行自筆の軸やら舞楽面がワタシ的には
興味をそそりましたが。
17日までだったような。
奥様と祇園祭宵々宮と併せて浴衣で参戦はいかかがですか?
毎日新聞WEB ↓
http://mainichi.jp/mantan/news/20120713dyo00m200006000c.html
>信西の隠れていた穴を密告したのは領民ではなかったのではと
>それで祟りを恐れて手厚く祀ったのではないか
密告で租税半年免除とか、見返りがあったのかな。
でもその凡さんが考える一種の“御霊信仰”的な考えは、有り得るのぉ〜。
菅原道真や崇徳天皇の怨霊が都に祟りをなしていることは、周知だったろうしね。
捕まえるだけでなく、晒し首にまでなったことで、密告者達は慌てたで
あろうこと想像できますね。
身分階級を越えて討った場合の祟りの恐怖は、いかばかりか。。。
江戸時代だけど、南信濃の遠山郷では民が領主の遠山一族を一揆で滅ぼした
祟りを恐れて、神楽の中に登場させて鎮魂してます。浮遊霊のように
出てきて消えていくだけですが、不気味ですよ。それは「御霊信仰神楽」ですね。
>ゆっくり墓見をしたいものです
墓場巡りかぁ〜、、、いつになっても怪しげな墓場巡りが止められませんなぁ〜(苦笑)。
________________
< さぎ草 様 どうもです!
>信西入道の子や孫が大変優秀で秀でていたといわれていますね
平家の世になって、信西の子や子孫は重用されたのでしょうね。しかし
信西が生きていたら、どんな歴史展開になっていたのでしょう。歴史に
“もしも”は無いとしても、生存していたら歴史の歯車は動かなかった
かもしれませんね。信西の死は、まさに“その時 歴史が動いた”ですね。
映画『ラングーンを越えて』のように、娯楽映画に政治的メッセージを
託そうというのはマナー違反(そんなのあるかな)だと思います。
真っ白な気持ちで観はじめて、終わった時にはアメリカ人を追った側
だけが悪者になるんですから。それも広義のマインドコントロールですね。
_____________________
【更新】
なれずし UP ↓。 まつり における なれずし のコレクション。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/oumi/41/
信西入道の子や孫が大変優秀で秀でていたといわれていますね。
それにしてもこの辺は墓の宝庫です。
安積親王陵、以仁王墓、橘諸兄墓。
藤原百川や平重衛の墓も近いし。
いつかゆっくり墓見をしたいものです。
< 凡 様 どうもです!
>知多には野間大坊に行かれたのですか?
NHK大河で 長田は保元の乱の頃に、申し訳程度に顔出しでチラリと登場
しましたね。 野間大坊は 凡さんと坂東武者ゆかりの地を歩いていた
頃に、当地に帰郷時に一度行ったきりです。
確か宝篋印塔だったと思いますが、奉納された木刀が高く周囲に積まれていて
石塔の笠から上しか見えない状態でした。 「木刀でもあれば、、、」
と憤死した最期だったので、木刀に願いを書いて奉納すれば願いが叶う
そうです。参詣したのが30年も前ですから、あるいは整備されたかも
しれませんね。 源義朝は、少なくとも野間大坊の周囲ではポピュラーな
武士なんでしょう。 これまでのNHK大河で、保元平治の乱が映像になるのは
初めてじゃないですか?私利私欲に走る貴族の姿も、面白おかしく
描かれていて楽しいですね。清盛が清すぎますが、清さ盛りだくさん
ってことでしょうかねぇ。
>信西入道の最後の地である宇治田原に行こうと思っていたのですが
凡さんのことだから、穴でも掘って入って「信西ごっこ」でも企んだのでしょう。
穴に入った写真でも、見せてください。
知多には野間大坊に行かれたのですか?今度の日曜日にはそこが舞台になりますね。観光客が増えているのでしょうか。じつは先週信西入道の最後の地である宇治田原に行こうと思っていたのですが、体調不良のため断念せざるをえませんでした。
ここで以前話題になっていた金胎寺も宇治田原町でしたね。あそこは南北朝時代に焼かれたそうですが、平治の乱の時田原の神社も焼かれたそうです。受難の地ですね。
他にも興味をひく史跡が沢山有る様ですので、いつか行ってみたいものです。
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