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令和8(2026)年02月11日(水)、奈良県吉野郡天川村
天川の郷士たちは天皇に献身的に奉仕したことから1350(正平五)年、後村上 天皇から「南朝旧臣位衆傳御」の称号を授けられたという。その子孫や所縁の 天川村在住の人々により、南朝四代の天皇(後醍醐天皇、後村上天皇、長慶 天皇、後亀山天皇)と先祖を供養する祀りが御朝拝式として行われている。 今年で650回目ということだが、コロナ禍の間は何回か行われなかったとしても 西暦2026年から差し引くと1376年から行われているという計算になる。これは 長慶天皇の時代だから、供養祭ということでは後醍醐天皇と後村上天皇を祀る 行事として始まったということになるのだろうか。 ( 後南朝の「長禄の変」で弑された一の宮を祀る川上村の御朝拝式が始まった のは江戸時代中期という説も有り、ここ天川村における御朝拝式も始まり年代 については考慮すべきだろう。) 何はともあれ、南朝にゆかりの地において南朝四代の天皇や南朝に奉仕した 祖先の供養祭が現在も行われているのは、地域史としてだけでなく日本の 歴史の一ページを今に伝える行事として貴重と言えよう。 (奉拝させて頂きまして感謝申し上げます) |
上写真;『南北朝編年史』下巻P.1109(由良哲次著;吉川弘文館、昭和39年刊)天授三年十一月十八日の項に、長慶天皇が天川郷民の活躍を賞したという記載。 同誌上下巻で天川郷に関する記載を見ると、少なくとも五か所でみられた。 延元二(1337)年一月二十四日、後醍醐天皇による課役免除の綸旨。 興国四(1343)年十二月二十七日、後村上天皇による河合寺造営料に関する綸旨。 正平五(1350)年八月二十三日、後村上天皇による課役免除の綸旨。 正平六(1351)年七月七日、後村上天皇による天川郷の米に関する綸旨。 天授三(1377)年の上記の長慶天皇による綸旨である。 なお、上記についての出典は「大和天川郷文書」から『南北朝編年史』に 記載されている。ただ残念ながら拙者はその出典元の文書を見ていない。 |
上写真;御朝拝式の式次第。特記すべきは第七番の「位衆傳御」由緒奉読で成立について説明されたこと。 第八番で後村上天皇、長慶天皇の御綸旨が奉読されたこと、 第九に御示書の奉読がされたこと。これは心構えや法度書きであった。 |
上写真;祭壇には後醍醐天皇坐像(上段左)や綸旨などが並ぶ。
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上写真3枚;式次第、位衆傳御の由緒書き奉読
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上写真;御示書の奉読
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上写真;綸旨
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上写真2枚;天川村の河合寺跡地には天水分神社が鎮座しているが、南朝の
行宮跡として碑が立っている。なお「南朝旧臣位衆傳御」の由来碑も有る。
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上写真;天川大辨財天社の横も南朝行宮跡地とされている。
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Last Updated 2026-02-15