ドイツ語圏
No.K-1-6 作曲家 リヒャルト・ワーグナー  バイロイト 2015年
Nr.K-1-6 Der Komponist Richard Wagner Bayreuth , Photo im Jahre 2015

■ 2015年5月4日撮影、ドイツ バイロイト (バイエルン州 オーバーフランケン行政管区)

リヒャルトは若いころから自分専用の劇場を持ちたいという希望を抱いていたようである(※)。
その夢が実現した地が、バイエルン州のバイロイトである。当時の政治上の地政学的にバイエルンとプロイセンの中間地点であるという策略も有ったようだが、政治の中心を離れた両国の中間地点に芸術の中心(自らのだが)を設置しようとしたのだ。バイロイトへはニュルンベルクから列車で一時間ほどで行くことができるが、行くまでは想像していなかった山間の勾配線区を列車は左右に身をくねらせながら登っていくのに驚いた。もう一つ、地政学的なだけでなくリヒャルトの心を動かしたのは、当時のドイツで一番舞台の奥行のある劇場がバイロイトに有ったから、その劇場が使えないか考えたということもある。
辺境伯歌劇場がそれであるが、結局は手狭ということでその案は放棄されることとなった。
バイロイトでは夏、リヒャルト・ワーグナーだけの曲を演奏(上演)する特別な音楽祭が開催されている。
そのチケットの入手は個人では極めて困難で、10年連続で申し込んでやっと入手できるかどうかという困難さである。
噂に過ぎないだろうが、何年も申し込ませるのは、本当のワグネリアンか熱意が試されているからだと云うが、はたして本当だろうか。そのような困難性ゆえ、ワーグナー信者ともいう熱狂者が集う祝祭劇場は道場のような聖域となっている。

1871年4月ベルリン旅行の途上、バイロイトに立ち寄って、この地に劇場建設を決意。2か月前に『ジークフリート』の総譜が完成した時期のことだ。
1872年1月31日ルツェルンのトリープシェンからバイロイトの丘の視察。
5月22日劇場定礎式。 辺境伯歌劇場でベートーヴェンの第九演奏会。
年末ドイツ各地へ歌手の発掘の旅。
1873年資金不足で劇場建設中断。
1874年1月25日ルートヴィヒ鏡い資金援助を申し入れ。
4月28日ヴァーンフリートに入る。
11月21日『指環』全て完成。
1875年4月愛犬ルス死ぬ。
1876年8月6日ルートヴィヒ鏡ぁ▲丱ぅ蹈ぅ箸謀着。翌日、『黄金』のゲネプロ観劇。
8月13日第一回バイロイト祝祭劇が始まる。計3回、『指環』が上演された。指揮者はハンス・リヒター。来場者には皇帝ヴィルヘルム祇ぁ▲凜絅襯謄鵐戰襯国王、ザクセン=ヴァイマール=アイゼナッハ大公はじめ王侯貴族が馬車で祝祭劇場に乗り付けた。作曲家ではグリーク、ブルックナー、チャイコフスキー、リスト。そしてニーチェや建築家のゼンパー。ヴェーゼンドンク夫妻も来ていた。
1877年4月『パルジファル』の台本完成。
1880年9〜10月作曲中の『パルジファル』はバイロイトのみで未来永劫も演奏されるべき、とルートヴィヒ鏡い房蟷罎鯀り、同意される。
1882年1月『パルジファル』総譜完成。
7月第二回音楽祭の祝祭劇場で『パルジファル』初演。指揮者はヘルマン・レヴィ。
一か月間に16回演奏された。
9月14日音楽祭後にヴェネチアへ旅行。
1883年2月13日ヴェネチア、ヴェンドラミン館にて死去。
17日霊柩列車がバイロイトに到着。
18日駅前広場から遺体はヴァーンフリートに向かい、埋葬された。
1930年4月1日コジマ、バイロイトにて死去。

(※)1851年10月、38歳の時のチューリッヒにおいて『ニーベルンクの指環』四部作の構想が語られた際、ライン河のほとりの自分の劇場について述べている。

上写真;“聖地”バイロイト祝祭劇場。劇場前の広場には、リヒャルトやコジマの胸像がある。

上写真; バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー一家の邸宅「Wahnfried(ヴァーンフリート)」。
訪問時は改装工事中で、内部へ入ることが出来なかった。2010年9月から改修工事に入り、2013年初めに開館予定だったが、2015年5月になってもまだ工事中だった。2013年の生誕200周年にも間に合わせないとは、随分ノンビリした工事だ。しかし2015年7月には開館した。再訪しなくてはならない。
邸宅裏には、リヒャルトの墓がある。コジマも一緒に眠る。そして近くに愛犬ルスの碑もある。
なお、ヴァーンフリートとはリヒャルトによる造語である。ヴァーン(妄想)フリート(平穏)である。
建築士はカール・ヴェルフェル、壁面の装飾はドレスデンの彫刻家カスパル・ツムブッシュによる。壁画の中央に立つのはゲルマンの神であるヴォ―タン。両脇の女性は古代の悲劇と音楽を現すという。
玄関前には彫刻家カルパス・ツムブッシュによるルートヴィヒ鏡い龍餐がある。

RICHAD WAGNER1813.5.22 - 1883.2.13
COSIMA1837.12.24 - 1930.4.1

上写真;Bayreuth Stadtfriedhof (バイロイト市立墓地)にある、リヒャルト・ワーグナー子孫の墓。
墓石に名前が刻まれていたのは、下記の諸氏。
SIEGFRIED、 WINIFRAD (SIEGFRIEDの奥さん)、WIELAND、GERTRUD(WIELANDの奥さん)、WOLFGANG、 GUDRUN ( WOLFGANG の奥さん)。

SIEGFRIED1869.6.6 - 1930.8.4
WINIFRED1897.6.23 - 1980.3.5
WIELAND1917.1.5 - 1966.10.17
GERTRUD1916.12.31 - 1998.7.13
WOLFGANG1919.8.30 - 2010.3.21
GUDRUN1944.6.15 - 2007.11.28

上写真;バイロイトの街並み。リヒャルトやコジマも歩いた路、、、。

上写真;バイロイトで生まれ、バイロイト専用曲とリヒャルトが考えた最後の大曲舞台神聖祝祭劇【パルジファル】。 持っている「パルジファル」のCD、DVDなどの一部を並べてみた。


■ 2015年9月19日 撮影

2015年5月4日のGW に訪問した時に工事中だったヴァーンフリートが、二か月後の7月26日にRichard Wagner Museum として公開再開された。工事中はフェンスで囲われて、建物も遠目に眺めるだけであったが、やっと入館できてリヒャルト・ワーグナーの住まいが訪問できる期待に玄関をくぐった。しかし、、、残念ながら館内は撮禁であったし修復工事によってワーグナー存命中の姿に復元するのではなく、デジタル表示の陳列館になってしまい、ワーグナーの存在の面影を探すのが全く無理な状態に失望した。 ただ、建物裏にある墓地が GW の時は荒れたような状態だったのが整備されていたのが 安堵できた。 ヴァーンフリート館の横の建物にはジークフリートの名前が表示されていた。 リヒャルトの御子息の住居だったのだろう。こちらは非公開であった。


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Last Updated  2016-04-08