ドイツ語圏
No.K-2 作曲家 (ライプツィヒ、ドレスデン) 2014年
Nr.K-2 Der Komponist in Leipzig und Dresden im Jahre 2014

■2014年5月3〜5日、ドイツにて撮影。

    LP、CD の写真は 日本の我が家で撮影。
    作曲家 リヒャルト・ヴァーグナー (ライプツィヒ、ドレスデン)は こちら


■カール・マリア・フォン・ヴェーバー( Carl Maria von Weber;18.Dec.1786〜5.Juni 1826 )撮影= ドレスデン

上左;ヴェーバーの代表作、歌劇【魔弾の射手】。指揮者(カルロス・クライバー)やソリストの素晴らしさというだけでなく、ライプツィヒの合唱団にドレスデンシュターツカペレと“現地物”の響きを聴かせてくれるCD。
上右;ヴェーバーの胸像。Graupa の Jadgschloss 内、ヴァーグナー展示室に有った胸像。ヴァーグナーに影響を与えた作曲家ということで置いてあった。(展示室内は 2EUR カメラ代を払うと撮影可能)

上2枚;Carl-Maria-von-Weber-Museum  (Dresdner Strasse 44, 01326 Dresden)
ドレスデンの町の東端に、Weberの家が保存されている。ドレスデンのザクセン宮廷楽長時代に住んだのであろう。ここから更に東へ5kmほど行くと、Graupaという町にリヒャルト・ヴァーグナーが1846年の夏にすごした家(通称LOHENGRIN-HAUS)がある。ヴェーバーを尊敬していたヴァーグナーが、Graupaの土地を選んだ理由の一つに、ヴェーバーの家の近くということもあろうか。

上;エルベ河に光をおとすゼンパーオーパー。ヴェーバーが宮廷楽長を務めた歌劇場の、現在の姿だ(右端)。

上左右;Dresden市内、Friedrich Strasse の Alter Katholisher Friedhof(旧カトリック墓地)の、ヴェーバーの墓。
墓石は歌劇場を設計したGottfried Semper が設計し、右の墓石はWeber-Museum に保存されている考案段階の石。
カール・マリア・フォン・ヴェーバーは1817年にザクセンの宮廷楽長に任命された。魔弾の射手は1821年にベルリンで初演され、ドレスデンでは翌年に演奏された。ドイツ語で歌う同曲は、ドイツ歌劇の新時代を切り開くだけでなく、ドイツという国威をも意識させることとなった。1826年6月5日にロンドンで客死し、6月21日に聖マリア教会で葬儀が行われた。
後に宮廷楽長になったリヒャルト・ヴァーグナーは幼少の頃に親がヴェーバーと付き合いがあるなど公私の縁から、ヴェーバーのドレスデン帰還に努力した。そして1844年12月15日にドレスデンで葬儀が行われることとなった。


■グスタフ・マーラー(Gustav Mahler ; 7 Juli 1860 〜18 Mai 1911) 撮影= ライプツィヒ

上写真3枚;マーラー交響曲第1番のLPと、作曲したLeipzig の家。
「Hier schrib er seine erste Symphonie (ここで第一交響曲を書いた)」
1887〜1888年の2年間、ここに住んでいた。ライプツィヒでは歌劇場の第二指揮者に1886年8月に就任。1888年にブタペストへ移動している。それまでの間に、ヴェーバーの孫のMarion Weberと不倫をしている。こんな処でヴェーバーの名前が出るとは、世間は狭いのだ(?)。

LPは、1980年代の初期に買ったバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのLP。
私は中学生だった1973年頃に、父親が持っていた1番(ハイティンク指揮アムステルダム)と9番(ワルター指揮ニューヨーク・フィル)のLPを聴いたのがマーラー鑑賞の最初。学校の音楽の授業で名前を聞かなかった作曲家ゆえ、未知の世界という気がしたものだ。


■J・S・バッハ(Johann Sebastian Bach ;31 Mai 1685〜28 Juli 1750) 撮影= ライプツィヒ

『マタイ受難曲 BWV244 』@ ライプツィヒ、 Thomaskirche (トーマス教会)

新約聖書「マタイによる福音書」26、27章のキリストの受難を題材にした宗教音楽。
初演はトーマス教会において1727年4月11日と思われる。1729年の聖金曜日にも二台のオルガンによって演奏されたことが明らかとなっている。現存のオリジナル手稿は1736年のもの。バッハ存命中は注目されることなく埋もれてしまった同曲は、100年後になってメンデルスゾーンによって発掘演奏されてから脚光を浴びるようになった。
写真はトーマス教会外部のバッハ像、堂内の二台のオルガン。
そしてバッハの廟所。
トラムの写真は、ライプツィヒ市内。Bach Museum の宣伝だが、肖像画が興奮させてくれる。
LPは1980年代の初め頃に買った、カール・リヒターが1979年に録音した盤。銀色の帯にArchivというレーベルは、LPを持つだけで崇高な気にさせてくれたものだ。


■ シューマン
(Robert Schumann;8 Juni 1810〜29 Juli 1856 、Clara Schumann;13 Sep.1819〜20.5.1896) 撮影= ライプツィヒ

上写真;ロベルト・シューマンの作曲で、好きな曲のCD。レクイエムの深い悲しみに満ちながらも哀愁漂うメロディーが美しい。

上写真;街を歩いていて見つけた、クララ・シューマンの住居跡。
プレートによると、「この場所で1825〜1835年の間、父親のFriedrich Wieck と住んでいた。また1830〜1831年にはRobert Schumann も同居していた。」
このクララの父親は名ピアニストだったようで、ロベルト・シューマンだけでなく、ハンス・フォン・ビューローも9歳の時に師事していたようである。

上写真2枚;Caffee Baum 店内。ライプツィヒで最も古い喫茶店の一つで、ロベルト・シューマンの指定席だったという席がある( Schumann Platz )。そして壁にはヴァーグナー、ブラームス、マーラーなど、この喫茶店に通った作曲家の肖像画が並んでいる。


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Last Updated  2014-08-18