ドイツ語圏 (音楽・観光)
No.K-1-14 作曲家リヒャルト・ワーグナー 、 ルートヴィヒII世と(2) 2017年撮影
Nr.K-1-14 Der Komponist Richard Wagner mit Ludwig II. (2) , Photo im Jahre 2017

■ 2017年4月29、30日 撮影(一枚のみ1987年9月29日撮影)
 Füssen(フュッセン)の Hotel Sonnne (ホテル ゾンネ)に滞在。


「リヒャルト・ワーグナー と ルートヴィヒII世の足跡」を求めて。 

1864年5月4日のミュンヒェン王宮での両者の出会い、そして1883年1月10日のワーグナーからルートヴィヒ2世への最後の手紙まで19年間、ワーグナー無くして ルートヴィヒII世 無し。 そしてルートヴィヒII世 無くして ワーグナー無し の相互関係が付かず離れず続いた。 両者の足跡を、ホーエンシュヴァンガウ城、ノイシュヴァンシュタイン城 そして リンダ―ホフ城で探訪した。

ルートヴィヒII世(1845年8月25日生〜1886年6月13日没;在位1864年3月12日〜没時)
リヒャルト・ワーグナー(1813年5月22日生〜1883年2月13日没)


■ Schloss Hohenschwangau (ホーエンシュヴァンガウ城)

ルートヴィヒII世の父親のマクシミリアンII世がホーエンシュヴァンガウの地に建てた城である。

この地の白鳥伝説に由来した壁画が描かれたこの城で、ルートヴィヒII世は幼少から少年期を過ごしている。ホーエンシュヴァンガウとは、白鳥の高原地域 という意味であり、白鳥に曳かれた小舟に乗って現れる聖杯の騎士ローエングリンの城であったという伝承がある。同場所に有った中世の古城は礎石を残して既に無く、そこのマクシミリアンII世がネオ・ゴチィック様式の城を1836年に築城した。内装はゲルマンの神話に満ち溢れ、幼少のルートヴィヒII世はその神話の世界に囲まれて育った。

ルートヴィヒII世は1861年2月2日、ミュンヒェン王室オペラ座で『ローエングリン』を聴き(観)、ホーエンシュヴァンガウ城に描かれた白鳥伝説の現実世界をワーグナーの曲の中に発見し、ワーグナーの世界に衝撃を受けた。ルートヴィヒが王位を継承し、ワーグナーをミュンヒェンに招聘する3年前のことである。そして『ローエングリン』の再演を聴いた(観た)のは父であるマクシミリアンII世の没した1864年3月10日の3日前の3月7日であった。そして王位継承。ルートヴィヒII世が最初に行ったのは、ルートヴィヒII世の頭の中で鳴り響き世界そのものである『ローエングリン』の作曲家リヒャルト・ワーグナーをミュンヘンに招聘し援助することであった。ミュンヘンでは翌1865年6月10日にウィーンでさえ演奏不可能と難曲の烙印を押された『トリスタンとイゾルデ』が初演され、ルートヴィヒII世にまたまた忘我の域の衝撃を与えた。

ルートヴィヒII世は同年11月2日にホーエンシュヴァンガウ城に移動するが、そこへはワーグナーも招待され、一週間を共に過ごす。両者の宴は長くは続かなかった。ワーグナーの政府人事への入れ知恵や散財そしてスキャンダルなどが原因で王もワーグナーを庇いきれなくなり、ミュンヒェンから追い出されるのは12月10日早朝のことである。ルートヴィヒII世はその後もミュンヒェンの王宮ではなく、ホーエンシュヴァンガウ城やベルク城の往復で滞在することが殆どとなる。

上写真;書籍『ワーグナー』P.72(サントリー音楽文化展 '92)の一部分。
1865年、ホーエンシュヴァンガウ城でルートヴィヒII世を前にピアノを弾くワーグナーが描かれている。
クルト・フォン・ロシンスキー画・彩色版画。

上写真3枚;ホーエンシュヴァンガウ城


■ Schloss Neuschwanstein (ノイシュヴァンシュタイン城)

上写真;ホーエンシュヴァンガウ城からノイシュヴァンシュタイン城を望む。
ルートヴィヒII世は ノイシュヴァンシュタイン城の建てられていく様子を、ホーエンシュヴァンガウ城から眺めていたという。つまり写真は、ルートヴィヒII世の目線での情景である。

東京ディズニーランドのシンデレラ城がモデルにしたお城は多々あるようだが、一番の類似はドイツのバイエルン地方にある ノイシュヴァンシュタイン城であろう。 実在の城は添付写真のように、山の中腹にある。

ドイツ語で“城”は Burg (ブルク)と Schloss (シュロス)の二種が有るが、前者は戦闘用の城で 後者は居住の城と主に呼び分けて(時代にもよるが)いるようだ。ノイシュヴァンシュタイン城は、シュロスの方である。ノイシュヴァンシュタイン城は 位置的には山城で、搦め手は断崖絶壁に守られており、攻撃は王手からしか不可能に見えるから立派な要塞だが、築城の王ルートヴィヒ2世は戦闘を念頭に置いた訳では無い。戦争が大嫌いだったルートヴィヒII世が要塞として守ろうと思ったのは、自分の孤独な世界に闖入しようとした世俗の世界からだったのだろう。

このノイシュヴァンシュタイン城の建築が具体化したのは1868年春のことである。 ここで興味深い点がある。 リヒャルト・ワーグナーの【トリスタンとイゾルデ】は1865年6月10日に ミュンヒェン王立宮廷歌劇場(バイエルン歌劇場)で初演されたが、その時の舞台装置にマルケ王の城として ノイシュヴァンシュタイン城そっくりな背景画が描かれているのだ。その舞台装置は宮廷歌劇場の専属画家が描いたものであるが、当然ワーグナーの監修の元で描かれたものである。つまりルートヴィヒII世がノイシュヴァンシュタイン城築城を具体化する3年前、そして礎石が据えられたのは1869年9月5日であるから、その4年も前に ノイシュヴァンシュタイン城の外見そっくりがワーグナーの舞台に登場していたのだ。 ルートヴィヒII世といえば ワーグナーの【ローエングリン】が真っ先に念頭に浮かぶ。しかし【トリスタンとイゾルデ】の初演を聴いた(観た)王は、陶酔から興奮状態に陥ったという。周囲の聴衆がその曲を理解できずにいたのに、真っ先に理解したのは王だったのだ。

ノイシュヴァンシュタイン城の構想を具体化し始めた1868年5月13日、ルートヴィヒII世は「 この城は 崇高な友リヒャルト・ワーグナーのために建てる威厳ある聖堂」 と述べている。 ワーグナーがミュンヒェンやバイロイトで演出した舞台美術が建築様式として城に反映されているという。

ルートヴィヒII世は、ワーグナーの音楽の世界に浸るだけでなく、その音楽を具現化した実在の空間に住みたかったのである。

実際には未完成のままだったノイシュヴァンシュタイン城で聖霊降臨祭の祝日を過ごそうと、ルートヴィヒII世は1886年6月1日に入城した。そして6月10日の早朝、王は政府役人からなる反逆団によって捕まってしまった。精神疾患で統治能力が欠如したとしてミュンヒェン南西のシュタルンベルク湖畔のベルク城に連れていかれ、監禁される。その僅か3日後の6月13日、王は散歩に精神科のグッテン医師と散歩に出かけ、やがて湖で水死体となり発見された。

けっして狂王ではなく、悲劇の王である。 

リヒャルト・ワーグナーそしてルートヴィヒII世の世界が詰まった城が ノイシュヴァンシュタイン城である。

Schloss Neuschwanstein (ノイシュヴァンシュタイン城)とは、「新・白鳥・岩 城」という意味である。

白い城壁が ローエングリンの白鳥の騎士 のように高潔である。

東京ディズニーランドへ行かれる人は、ノイシュヴァンシュタイン城を模したシンデレラ城を見ることで、知らず知らず ワーグナーの世界に触れているのだ。


上写真3枚;3枚のうち一番下だけ1987年9月29日の撮影。新婚旅行時の撮影だ。


■ Schloss Linderhof (リンダ―ホフ城)

上写真;パンフレットに掲載されている Vinusgrotte は2017年から2022年まで修復のため閉鎖されており、残念ながら入洞できなかった。


フュッセンからリンダ―ホフ城まで行きはTaxi で45分かかって行き、帰りはバス3本を乗り継いで2時間半かかった。つまり本当に不便な、そして周囲に何も無い山の中にリンダ―ホフ城はある。グラスヴァンク渓谷に父であるマクシミリアンII世が建てた狩猟用の小屋が有ったという。それをルートヴィヒII世は1874〜1878年の間に、ベルサイユの小トリアノンを模してルイ14世を記念とするとして築城した。この年号をみると分かるように、リヒャルト・ワーグナーがバイロイト祝祭劇場によるバイロイト音楽祭準備の時期と重なる。築城とワーグナーへの援助。現在でこそドイツを代表する建物と音楽であるが、当時としては王の個人的趣味への出費として政府から非難されたことは疑う余地が無い。1874年1月25日、ルートヴィヒII世はワーグナーにバイロイトへの援助を申し入れる。1875年7月25日、ルートヴィヒII世はワーグナーにブロンズの胸像を贈り、これはヴァーンフリート荘の庭に置かれた。そして王がバイロイトへ来たのは、音楽祭開幕1876年8月13日の一週間前の8月6日の深夜でのことであった。第一回バイロイト音楽祭のゲネプロと公演を楽しんだ王だが、以降はバイロイトを訪れることは無かった。リンダーホフ城、ホーエンシュヴァンガウ城、そしてノイシュヴァンシュタイン城に籠る日々が続くようになった。

ルートヴィヒII世が建てた3つの城、リンダーホフ城、ノイシュヴァンシュタイン城そしてへ―レンキームゼー城の内、完成して比較的長く住んだのはリンダーホフ城だけであった。

(参考文献)
「狂王ルートヴィヒ」ジャン・デ・カール著、三保元訳;中公文庫
「王ルートヴィヒ 王の生涯とその最期」ユリウス・デージンク著(現地購入本)
「ワーグナー」'92サントリー音楽文化展
「ワーグナーの生涯」ヴォルター・ハンゼン著、小林俊明訳;アルファベータ社


■ 上記キャプション中のワーグナー曲での、私のお気に入りの一枚。

上写真左上;【トリスタンとイゾルデ】レナード・バーンスタイン指揮
上写真右上;【ローエングリン】ルドルフ・ケンぺ指揮
上の2枚のオケは 共に、ルートヴィヒII世の御膝元、バイエルン放送交響楽団。

上写真左下;ヨナス・カウフマン(T)による、野太いローエングリンの「名乗り」が聴ける。
上写真右下;フローリアン・フォークト(T)による、甘いローエングリンの「名乗り」が聴ける。


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Last Updated  2017-05-12