ドイツ語圏 (音楽・観光)
No.K-1-15 作曲家リヒャルト・ワーグナー 、 ルートヴィヒII世と(3) 2017、2019年撮影
Nr.K-1-15 Der Komponist Richard Wagner mit Ludwig II. (3) , Photo im Jahre 2017 2019

■ 2017年4月29日、30日 撮影

借金の債権者から逃れるように各地を放浪中のリヒャルト・ワーグナーがバイエルン 王 ルートヴィヒ2世の招聘の使者に会ったのは、シュトットガルトでのことであった。

即、使者とワーグナーは王の待つミュンヘンに向かう。両者の初対面は1864年5月4 日、ミュンヒェン レジデンツ(王宮)においてであった。

まだ【トリスタンとイゾルデ】の初演もされていない1865年8月にワーグナーは王 に、【指環】の次に 【パルジファル】を作曲する構想を話している。【パルジファル】の完成と初演は、 それから18年も経った1882年、バイロイトでのことであった。

しかし全曲完成の2年前の1880年11月12日、【パルジファル】の前奏曲だけが2回、 王の希望で ワーグナー指揮、王宮楽団によって演奏されている。だがこの演奏時の思惑の違いから、二人は離反する。 経済的援助は続いていたものの、結局ルートヴィヒ2世は1882年7月26日の第2回バ イロイト音楽祭における【パルジファル】初演に、バイロイトへ来なかった。 しかし翌年、ワーグナーは死期が近いことを悟り、1883年1月10日付の手紙で王にこ れまでの事を感謝している。ワーグナー死の直前、2人は和解したのである。 そして2月13日、ワーグナー没。ルートヴィヒ2世はワーグナー死去の報に半狂乱に なったという。以降、王のシュタルンベルク湖での謎の死の1886年6月13日までの3 年半の間、日に日に王の精神状態は世俗社会から離れてゆくが、ゆえにそれによって 政府役員からは狂乱に仕立てられていく過程であった。精神障害という症状がルート ヴィヒII世を排除しようとした勢力が仕立てた茶番かどうかは別としても、王が公務 から背を向けて殻に籠るようになる状態の深化は、さながら傾く塀を支えていたつっ かえ棒が外れて崩壊していくかの如くであった。いかにルートヴィヒ2世の心にワー グナーの存在が大きかったか分かると思う。

ルートヴィヒ2世は死の14日前に、生前最後のオペラを聴く。曲は【パルジファル】 だったという (全曲演奏はバイロイトから門外不出だったから、これはおそらく前奏曲か部分演奏 だったろう)。

ワーグナー、そしてルートヴィヒ2世。この2人の晩年を【パルジファル】を絡めて 思うと、切なく辛くなる。

上写真;ホーエンシュヴァンガウ城からノイシュヴァンシュタイン城を望む。 ノイシュヴァンシュタイン城に居るルートヴィヒII世を確保すべく、第一次政府役員 会は1886年6月10日未明にホーエンシュヴァンガウ城に到着した。

上写真;第一次政府委員会の面々は6月10日午前3時過ぎにホーエンシュヴァンガウ城 を出発、馬車で15分ほどのノイシュヴァンシュタイン城に向かった。両方の城の位置 関係が上の写真から分かる。
写真の右下にはホーエンシュヴァンガウの集落が見える。政府委員会の謀反を知った ルートヴィヒII世は、 集落の警察官や消防団員を呼ぶようにした。やがて事態を知った集落の民が王の応援 に駆け付けた。
第一次政府委員会によって王を拿捕しようとする試みは失敗に終わった。
しかし12日の未明には第二次拿捕チームが医師を中心にノイシュヴァンシュタイン城 に到着し、この時は易々と捕まってしまった。第一次と第二次の拿捕チームが来るま での間に、王はバイエルンを脱出するなどせず無駄に時間が過ぎてしまったように思 える。しかしこの期間は、王が逃げ場の無いことを自覚する時間だったのかもしれな い。

上写真;ミュンヒェンからフュッセンへのドイツ鉄道の列車の前方展望。ミュンヘン からホーエンシュヴァンガウに向かう王も見た景色だ。政府謀反団に捕まった王は6 月12日の午前4時、この景色を背にシュタルンベルク湖湖畔のベルク城へ向かう。

上写真; Schloss Berg (ベルク城)。 ミュンヒェンの南西に位置してStarnberg See (シュタルンベルク湖)に近い城は、ルートヴィヒII世の御気に入りだった。リ ンダ―ホフ城やノイシュヴァンシュタイン城が完成するまでは、ホーエンシュヴァン ガウ城とベルク城を往復して住まうような日々が多かった。
ベルク城にはミュンヒェンに招待したリヒャルト・ワーグナーやエリザベートなどと の交流の思い出も詰まっていたはずだ。それが1886年6月12日に政府委員会に捕まっ てベルク城に移送された時には、窓に鉄格子がハメられた牢獄のような姿に改装され ていた。ルートヴィヒII世の心中は、いかばかりだったろうか。想像するだけで胸が 痛む。
ベルク城は末裔の私有地で、入ったり見学はできないので、門外の道路から眺めるこ とが可能なだけである。

上写真2枚;王らがベルク城に着いたのは6月12日のお昼すぎ。ノイシュヴァンシュタ イン城から馬車で8時間かかって着いたのだ。翌日の13日、王は午前中に散歩をベル ク城周囲を行い、夕刻にも2回目の散歩に出かけた。
上の写真は、ベルク城の東側から現在ルートヴィヒII世の慰霊の聖堂である Votivkirche への道。
ルートヴィヒII世が最期に歩いた道は、このようだったろう。途中からルートヴィヒ II世は湖に向かって走り始め、慌てたグッテン博士が追い駆けたことになっている。

上写真2枚;シュタルンベルク湖の王が見つかった辺りに立つ十字架。
6月13日の散歩一回目には助手である他の医師も同行したが夕刻の2回目の散歩は、 グッテン医師だけが同行した。散歩に出かけるのが18時。 20時には戻ると言い残し て出掛けた。日本の感覚では20時は暗いが、ドイツの6月の20時はまだ明るい。 し かし20時に二人は戻らなかった。捜索が開始されたのは20時半。大捜索で王らが発見 されたのは、22時半。シュタルンベルク湖の湖畔から約18mの処の浅瀬に浮かんでい る王とグッテン博士が発見されたのだ。
2人とも泳ぎが得意だったということから、不慮の溺死は考えられない。
ルートヴィヒII世が自ら湖に身を沈めるとしたら、、ルートヴィヒII世が最期に見た 夢は、、、 湖の彼方から、白鳥に曳かれた小舟に乗って来る騎士ローエングリンと一体化する幻 覚でも見たのだろうか。
浪漫の世界に浸りながらも現実世界に包囲、追い詰められて命を失った王が痛々しく 切ない。

上写真2枚;ミュンヘン市内の Michaelskirche (ミヒャエル教会)。
6月13日の23時ころに王とグッテン博士の死体が湖で見つかり、14日の午前零時には 死亡宣言が出された。王の遺骸は一時ベルク城に安置されて村民に弔問が許された が、直ぐにミュンヒェンの王宮に移された。そして15日の午前8時から王宮の一室で 解剖が行われた。
告別式は6月19日である。
告別式の後、王の遺骸は午前11時半に一時間かけてミヒャエル教会に運ばれた。その 一時間の間、町中の教会の鐘が鳴り続けたという。
上写真2枚は、そのミヒャエル教会の外観と伽藍である。

上写真;ミヒャエル教会の地下にルートヴィヒII世をはじめとして Haus  Wittelsbach (ヴィッテルスバッハ家)のお歴々の棺桶が安置された廟所がある。2 ユーロを払い墓参が可能であるが、撮影は禁止されている。
廟所は撮影禁止なので、廟所受付で購入した死の床に眠るルートヴィヒII世の写真 を、案内看板と並べて写した。
ルートヴィヒII世の最期は今もって謎に包まれている。定説では「医者のグッテン博 士を殺してから、自殺」ということになっている。しかし陰謀による他殺説も決して 消えた訳では無い。前者の定説をとるのは、現在まで続くルートヴィヒII世の同族の ヴィッテルスバッハ家血筋がルートヴィヒII世存命中から王位を狙っているという噂 だったルートヴィヒII世の叔父さんの家系が流布した説であるからだ。合戦で云う処 の「勝者の論理」ということである。消された(?)、あるいは消えたルートヴィヒ II世は、語ることができない。 (合掌)


■ ニンフェンブルク城( Schloss Nymphenburg )2019年08月12日撮影

ニンフェンブルク城、妖精の城と呼ばれる美しい城は、ミュンヘン中央駅の西方約5kmに ある。これまで1988年に新婚旅行で訪れたことが有ったが、ルートヴィヒ鏡い寮乎造両 である、という深い思いを持って久しぶりに訪問してみた。

城の創建はバイエルン選帝后妃ヘンリエッテ・アデライデの頃であるが、現在の姿になったのは マックス・エマニュエル(1662−1726)の頃であった。ルートヴィヒ鏡い蓮△海両襪痢嵶个離汽蹈鵝 で、バイエルン皇太子マキシミリアン(1811−64)とプロイセンの王女マリー(1825−89)の間の 長男として、1845年8月25日の零時28分に生まれた。

実際、生まれたのはこの城であったが、幼少の頃は殆どをホーエンシュヴァンガウ城で過ごしていた ようである。この城の名前がルートヴィヒ鏡い寮験兇悩討啜啗を浴びたのは、1863年8月16〜17日 に、プロイセン王の一行を迎え、ビスマルクにも会った時のことである。 ただしワーグナーがこの城を、ミュンヘン在住時代(1864−65)に訪れたかは、不明である。 私が2019年に31年ぶりに訪れた日、夏にも拘らず気温は15℃くらいの肌寒い日であった。 運河を結ぶ池の向こう側に見える城は、優雅にそして静かに佇んでいた。


■ 上記キャプションに関連した曲の、お気に入り CD。

上写真の左側はクラウス・フローリアン・フォークトがタイトルロールを歌う『ロー エングリン』。
『ローエングリン』はこれまで特別好きな曲でなかったが、フォークト氏による全曲 盤が出たことで俄然 好きな曲になった。
右側は ジェームス・レヴァイン氏の指揮による『パルジファル』。まったりとした スローテンポの演奏の雄大さと神秘性が堪らない。全演奏時間4時間30分は 現在入 手可能な演奏CDでも、長い方だ。

《参考文献》
「狂王ルートヴィヒ」ジャン・デ・カール著、三保元訳;中公文庫
「王ルートヴィヒ 王の生涯とその最期」ユリウス・デージンク著(現地購入本)
「ルートヴィヒII世」須永朝彦著;新書館
「ルートヴィヒ二世の生涯」シュミット村木眞寿美著;河出書房新社


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Last Updated  2019-09-28