日本!(お神楽)
No.17 西浦田楽
撮影場所&日;静岡県浜松市水窪町所能、観音堂、平成18年2月15、16日(毎年旧暦1月18日)
撮影機材;Nikon D70 +SIGMA18−50mmF2.8、Nikon D70s+SIGMA10−20mmF4-5.6

■地能
聖観音菩薩をご本尊とする観音堂境内にて、旧暦1月18日の月の出から日の出まで行なわれる田楽祭が、「西浦田楽」です。現在は十七戸の“能衆”と、8〜13歳の男子から選ばれた“タヨガミ”という少年二人を、別当と能頭が率いて行なっています。別当は祭主で、能頭は舞いの頭です。古来より世襲制が維持されており、別当は旧暦12月大晦日から別火による精進潔斎に入り、他の能衆も一週間前から同様に精進されます。
伝説では養老三(719)年に行基菩薩がこの地に来て観音像を仏像とし、面を作って舞が始まったとされています。
舞は「地能」と「はね能」の二部構成ですが、「地能」はおおまかに三部に分けられます。まず序盤の地霊鎮め悪霊祓いの舞、中盤の農耕予祝、終盤の神の降臨の翁系の舞いです。中盤の農耕豊穣予祝といいましても、農耕作業の様子を具象的にパフォーマンスする舞だけでなく、山神の使いである猿が登場して男女交合の様子で稲霊を刺激するという類感予祝の呪術舞もあります。そして春日大社の若宮おん祭りにも伝承されている【高足】という曲芸的な舞もあるというバラエティーさです。
当日の天気予報は、日付が変わるころに雨でしたが、私が西浦に着いた午後4時半には小雨が降り始める、生憎の天気となりました。
一時は止んだものの、【御子舞】の途中から降り出した雨はやがて本降りとなりました。防水処理されてない私のジャンパーは雨を含んで重くなり、途中で車へビニールコートを取りに行きましたが、体は冷えまくり、カメラもびしょ濡れでした。その中でレンズ交換も出来ず、結局は18−50mmF2.8を装着したカメラ一台での撮影となりました。写真を見ると明らかに消極的な写真ばかりで、もう少し頑張ればよかったと思いますが、今だから言えることです。当然、能衆の方々のご苦労と、他の参詣者の皆さんも雨中で頭から雨水を滴らせながら徹夜するわけですから、大変でしたがその価値はある一夜です。
尚、二十七番【君の舞】から三十三番【三番叟】までは、二十九番【仏の舞】以外は観音堂内で舞われました。

《現地情報》駐車場・・・あり、売店屋台・・・あり、仮眠所・・・なし
《参考文献》
【西浦の田楽】水窪町教育委員会
【能 現行謡曲解題(全)】松田存;錦正社
【能楽ハンドブック】戸井田道三、小林保治;三省堂

上左【御酒上げ】(午後8時13分)、上右【庭上がり】(午後9時11分)

上左右【御子舞】(午後9時31分)

上左右【地固め】(午後10時22分)

上左【高足】(午後11時06分)、上右【もどき】(午後11時12分)

上左【猿】(午後11時21分)、上右【出体童子】(午前0時34分)

上左【よなぞう】(午前1時07分)、上右【山家惣とめ】(午前1時45分)

上左【君の舞】(午前3時27分)、上右【田楽舞】(午前3時44分)

上左【仏の舞】(午前4時14分)、上右【三番叟】(午前5時07分)


■はね能
 地能という予祝性の強い舞が終了すると、はね能という演劇性の強い演目が始まります。はね能の演目の題名は、現在の五流(観世・宝生・金剛・金春・喜多)能に存在するものが多いです。例えば西浦田楽はね能の〈高砂〉は五流能の〔高砂〕、〈しょうじょう〉は〔猩々〕、〈くらま〉は〔鞍馬天狗〕、〈野々宮〉は〔野宮〕、〈さおひめ〉は〔佐保山〕などです。〈梅花〉のように五流には無い題名もありますが、梅花がキーワードとなる源平物で〔箙〕という能がありますから、それに相当するかもしれませんが、再見して確認しなくてはなりません。
はね能の各曲の舞は、五流能の風体、ハタラキそして運びも全く異なります。五流に伝わる能と同一曲名を持ちながら別の曲となっており、どのように西浦田楽に伝わったのか興味深々です。既にUPしてあります島根県の佐陀神能は、佐侘神社の神官さんが江戸時代に都で能を見て学び、それを地元でお神楽に導入したと云われているだけあって、前後二場形式で演じるなど、僅かながらも五流派の能の類似性が見られますが、西浦の能には見られません。類似性があるとすれば、謡が同じようでありましたが、節は五流のどの流派とも違います。弱吟はなく、強吟のようですが、節は単一的です。舞は「はね能」の語源は不明ですが、そのもの跳ねる舞がメインですが、内容は五流派の翔(カケリ)に相当するシーンが殆どです。このことから、はね能が余興的に演じられたという推測をするのに十分なことです。西浦はね能で演じられる曲の同名曲の作者は大和猿楽の世阿弥(1363−1443)はじめ、金春禅竹(1405−1470)や左阿弥安清(1381−1485)ら、室町時代中期の作者ばかりです。世阿弥の頃には田楽の能と猿楽の能の芸態にさほど違いは無かったそうですから、もし猿楽座の興隆で都を落ちた田楽座員が地方に活路を見出したのなら、もう少し現在の五流派の能楽に類似性が見られてもよいのではないかと思います。このことから西浦田楽はね能は、都などで申楽(世阿弥は、このように呼びました)を見聞きした修験者、あるいは大道芸人のような人々が申楽の謡本のみをテキストとして持参して始めたのが最初ではないかとも思いました。むろん当初の姿をそのまま伝承してるわけではないでしょうから、元は五流能に類似していたのがディフォルメされた可能性も有るでしょうけど。なにぶん勉強不足です、、能楽と西浦田楽の類似性と差異を歴史的、あるいは能の所作から記載した文献がありましたら、どうぞお教え下さい。
はね能の【高砂】が済む頃から、【水のう】が終わるまで雨は止んでました。

上左【くらま】(午前6時20分)、上右【やしま】(午前6時58分)

上左【さおひめ】(午前7時15分)、上右【べんけい】(午前7時24分)



【しずめ】(午前7時57分)

上左【火のう】(午前8時03分)、上右【水のう】(午前8時04分)


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Last Updated  2006-02-26