日本!(お神楽・田楽)
No.38 王の舞、天狗の舞
(参考写真)上左写真;舞楽【蘭陵王】(広島県、厳島神社)、上右写真;舞楽【散手】(名古屋市、熱田神宮)

上写真2枚;彌美神社【王の舞】(福井県三方郡美浜町)

舞楽ファンとして、福井県美浜町の美彌神社の「王の舞」に以前から興味があったが 例年1日のため、日曜日になる平成23年を待っていた。
「王の舞」と称する舞は若狭地方で16箇所の神社で奉納されるほど、地域特性がある。
彌美神社の「王の舞」は、赤い装束に鼻高面に鳳凰の冠、そして長い鉾を持って舞う。16箇所ある「王の舞」には、紋付袴で舞うなど装束にバリエーションがあるようだが、鼻高面という天狗系の面に鉾という共通性は高い。「王の舞」の解説には、“元は竜王の舞という舞楽曲が、竜というのが欠けて王の舞となった”という記述もWEBでは見られる。実際、現在も「竜(龍)王の舞」と称する舞楽曲を舞う、地方舞楽がある。隠岐国国分寺蓮華会や林家舞楽では、「龍王」とか「竜王の舞」と云う曲がある。しかしこれらは舞楽の名曲「蘭陵王」の変形である。事実、「蘭陵王」は略称で「陵王」とか「竜王」と云われるのである。呼称が「りょうおう」⇒「りゅうおう」に転訛したか、蘭陵王の面の上に竜の飾りが乗ることから、「竜王」になったのかもしれない。「蘭陵王」は左方舞楽だが、実際には右方舞楽の「納曽利」が竜の舞だったりするから、「竜の舞」と言い始めると ややこしい。
話を戻すと、では若狭方面に伝承する「王の舞」は、「蘭陵王」が原型なのだろうか。そのような説明も散見する。ここで彌美神社の「王の舞」の装束を改めて見ると、なるほど左方舞楽のイメージカラーの赤系である。だが紋付袴の事例も神社では有ることを思えば、彌美神社の赤装束は、舞が始まったはるか後世の近代において風流化した装束か、逆に紋付袴で舞う「王の舞」の装束が左方舞楽の流れである特質を捨てたのか、どちらかであろう。装束については、かようである。しかし赤ら顔の面と鉾を持って舞うのは舞楽で考えると、決して「蘭陵王」ではない。赤ら顔+鉾+赤装束=左方舞楽「散手」しか無いのである。 「王の舞」の名称は 竜王の竜が欠けて王の舞になったので
はなく、「散手」からの舞楽の類似であり、「散手」の舞の意味を思えば遥かにこの地にふさわしい。「散手」は神功皇后の三韓征伐の時に率川明神が舟の軸に現れて勝利に導いた謂われの曲であるが、海民である若狭の民に伝承されるにふさわしい内容だと思う。添付写真の左下には、後姿の少年が写っているが、この少年が舞い終えた舞人から鉾を受け取る。まさに「散手」の番子と同様なのに、唖然としてしまった。
このような舞が、いつから始まったのか不明のようである。こんにち各地で伝承されている里神楽の殆どが江戸時代中〜後期に成立したように、「王の舞」もその頃に始まったか、あるいは逆にかなり古いかどちらかだろう。若狭は山越えで南下し琵琶湖を経て、平城京や平安京との交易が盛んであった。海産物や塩などが運ばれるうちに、中央の舞楽曲である「散手」が伝わって「王の舞」として独自の発展を遂げたことは、十分に考えられる。そうであれば「王の舞」は約1,000年の歴史、または里神楽同様に江戸時代の成立なら約250年の歴史、、、かなり時間差があるが、いづれかであろう。


上写真;国狭槌神社(滋賀県高浜市)

上記において、福井県美浜町の彌美神社における「王の舞」について記した。既存の説のように舞楽曲「竜王(蘭陵王)」の舞から竜の字が欠落して「王の舞」となったのではなく、舞の姿や番子の存在からは、「蘭陵王」と同じく左方舞楽の「散手」が匹敵することを記した。
次の写真は、福井県から京への陸路ルートの塩や海産物の交易ルートに近い、高島市下小川の国狭槌神社の「天狗の舞」である。ここでは「王の舞」とは呼ばないが、舞の演目は鼻高面の天狗様面舞と獅子舞の二番であることは、彌美神社も国狭槌神社も同じで、同じ系列の舞と思われる。ここでの舞は呼称のように天狗が舞うということであり、左方舞楽のシンボルカラーの赤装束ではなく、白浄衣に長い鉾を持った天狗面である。このような姿の舞が里神楽で思い当たる。静岡県浜松市の『寺野のひよんどり』の“火の王”である。ここでは天狗面を顔に斜めにつけて、半神半人の姿で舞う。そして脚で床に大日如来と書いていく秘事がある。大日如来は山岳宗教・修験道における唯一絶対の真理と云われる神仏である。このような事例から国狭槌神社の「天狗の舞」を眺めていくと、はるかに類似性が舞楽「散手」より感じられる。ここでの「天狗の舞」は里神楽のように舞うというより、鉾を天地中に振るだけであり、かなり呪術性が高く芸能性が排除されている。天狗とは、山岳宗教を極める修験者や山伏の姿を顕したのが、ここの「天狗の舞」の本質であろう。そのように考えると、はたして若狭に16箇所伝承されている「王の舞」が舞楽の系譜かと疑問に思われてしまう。舞楽にも呪術性の高い曲がある。例えば必ず奉奏の最初に舞われる清めの「振鉾」がそうである。あからさまな呪術性のある曲はその一曲だが、思えば「散手」も率川明神の姿というが、実は天狗ではなかろうかと思えてしまう。
「王の舞」&「散手」&「天狗の舞」、、、これらは紙一重の存在なんだろうと思えてきた。
「王の舞」の “王” とは、陵王(竜王)の キングという“王” ではなく、“偉大な力”という意味であろう。偉大な力とは、霊力・験力という意味であると考える。であれば、若狭の「王の舞」が寺野や高島市の「天狗の舞」に、または舞楽「散手」に共通することは意外ではないと思っている。


(参考写真)上; 上松駒ヶ岳神社 太々神楽 (長野県)

上写真左右; 三重生神社(滋賀県高島市)

若狭の彌美神社の「王の舞」は 舞楽の「蘭陵王(竜王)」が原型ではなく、舞楽にルーツを求めるならば 左方舞楽の「散手」が該当するだろうと述べてきた。しかし湖西(滋賀 県高島市)の国狭槌神社の「天狗の舞」は「王の舞」の系譜として考えた場合、舞楽よりもむしろ神楽系であるし、そのスタイルは修験者に近いとも述べた。撮影した順序から云うと、三重生神社が最初である。この神社の「牛のまつり」と呼ばれる祭礼で「天狗の舞」が行われるのだが、私の頭の中には 若狭の「王の舞」の系譜であるから舞楽系との意識があった。ゆえに三重生神社の「天狗の舞」で “烏跳び” のような所作が行われた時は、何故これが舞楽系なのだと戸惑ってしまった。明らかに山伏が感得した呪力を示しながら山から山へ飛翔する姿、これは異界の天狗という存在に重ねられるが、その姿が天狗の面に鉾を持った舞人によって行われるのだ。このような天狗が跳ぶ神楽といえば、上松の駒ケ岳神社太々神楽(長野県)の「四神五返拝」に見ることができる。上松の神楽と高島市の「天狗の舞」が同じ系列の民俗芸能である可能性は無いが、天狗の秘力の誇示という顕れとしての跳躍という発想は、天狗あるいは修験者の神憑かった能力への畏れとその能力による加持祈祷や達成能力を期待したものと云えよう。とすれば三重生神社の「天狗の舞」は天狗の姿そのものであるし、それは山伏など修験者にも重なる姿であろう。国狭槌神社の「天狗の舞」の装束は白浄衣で、修験者そのものに近い。かようなことから高島市の「天狗の舞」は舞楽の系譜ではなく、天狗そのものの神楽の加持祈祷舞により近い存在と考えられよう。このことから若狭美浜町の彌美神社の「王の舞」を見てみると、舞楽「散手」の系譜説も誤りであって、若狭の「王の舞」も天狗そのものである ことが分かってくる。書いたように、「王」は “キング” という階位を示すのではなく、“偉大な力”という意味であろう。実は驚く点があった。彌美神社の「王の舞」の舞人の頭に乗る飾り は鳳凰だと思っていたが、よく見れば孔雀である。行者 の守護神に、孔雀明王がある。毒蛇をも食べるという孔雀のパワーを神格化したもので、行者の祖である役小角が孔雀明王の呪を誦して鬼神を使役して多々奇跡を行ったという呪力を示すのである。赤ら顔の鼻高面の天狗顔で孔雀明王のパワーを持つ「王の舞」、これこそ天狗の最強の姿かもしれない。


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Last Updated  2011-06-28