9年間のミャンマー連邦(旧ビルマ)での撮影に終止符を打ち、お神楽の撮影を始めたのが昨年9月からです。長畝日向神楽が、お神楽撮影デビューでした。それから一年、今年も昨年撮影した長畝日向神楽と徳山神楽を再訪しました。撮影も二回目となると、昨年と同じ写真を撮影していて良いはずがない、というプレッシャーを感じての撮影です。被写体が何であれ、写真表現は変化しなければならない、と常々思っているんですが、なかなか、、、。今回UPの写真はブレた写真が多いですが、意図的に動感を出すためにブラしました。 |
■ 長畝日向神楽
福井県坂井市丸岡町・長畝八幡神社 平成17(2005)年9月17日
昨年の撮影と同じく、第一日目の撮影です。内容は「記紀」に素材を求めた、出雲流神楽です。第一日目は夜7時から神社の拝殿で奉納されますが、天照大御神が岩戸に篭ったために世が闇に包まれ、神々が天照大御神を岩戸から引き出すまでの闇夜の世界を夜に舞うのです。そして岩戸から天照大御神が出て来て光が戻った世を表現する舞を、翌日の明るい午後2時から奉納するのです。 |
![]() |
![]() ![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■ 滝沢神楽 静岡県藤枝市滝沢、八坂神社 平成17(2005)年10月9日 |
今回UPの両神楽は、「藁科・川根」型です。駿河神楽は元々、湯立てをともなう「伊勢流湯立神楽」なんですが、滝沢神楽では既に昭和初期の頃に湯立ては断絶したようです。そして徳山神楽は湯立てがありますが、すでに神事の湯立てとしてのスタイルは喪失してると思います。湯立てについてですが、、、井上隆弘氏は著書『霜月神楽の祝祭学』において、同じく湯立てを伴う《花祭》の場合の「湯はやし」の舞は、演目の初期段階に舞われる「地固め」の舞から順々に舞の型(所作)の意味が空間秩序を構成しながら立体的に構築されて「湯はやし」に向っていく様子を指摘され、また天竜川中流西域の《霜月神楽》では、湯立てが繰り返されて、舞は湯立ての場を清める湯立てに従属するものとも指摘されてらっしゃいます。そのような視点から湯立てが残っている徳山神楽を拝見しても、花祭のように舞の一つ一つが構築物を築き上げていくような構成はなく、舞ぶりも演目も単体の舞の集合のように感じられました。そして、霜月神楽のように湯立てと舞を繰り返すスタイルでもありませんでした。 「恵比寿・大黒の舞」のように、かなりエンタテイメント性の強い舞が両方とも挿入されており、湯立ての意義とのバランス性がいつから現在のような内容になったかは、興味深いものがあります。陰陽師の安倍晴明の呪術のセーマン(☆)に基づいた“晴明判”という舞筋の採り物舞が「順の舞」に残存しているなど、舞いの内容も新旧混淆としてる感があります。また、滝沢神楽には「殿面舞」という武士舞がありますが、南信濃村霜月祭のような御霊信仰も混ざっているのかもしれません。
撮影は長畝日向神楽同様に、ブレを多様して撮影しました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
上【八王子の舞】(徳山)
![]() |
![]() |
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Last Updated 2006-08-16