日本!(念仏・風流)
No.19 八瀬赦免地踊り
撮影場所&日;京都市左京区八瀬、八瀬天満宮内秋元神社、平成19(2007)年10月7日
撮影機材;Nikon D80+VR18-200mm
現地情報;行列は19時55分に門口(集合場所)に整列。20時神社へ出発。21時半頃終了。臨時駐車場あり。コンビニまで約500m。

京都市左京区八瀬、八瀬天満宮内社・秋元神社へ奉納される「赦免地踊り」を拝見・撮影してきた。
「赦免地踊り」とは変わった名前である。八瀬の民と叡山との結界訴訟が江戸時代の宝永4(1707)年に起こり生活の糧を失った際、後醍醐天皇の御世より八瀬童子が駕輿の警護等で供奉した功により年貢諸役一切免除の御綸旨を賜り、御世代わりには同様の御綸旨を下賜されてきたことから幕府に上訴、老中秋元但馬守がこれを認めてくれた。この裁定への高恩報謝として天満宮内に秋元神社を建てて神霊をお慰めするため踊りを奉納するようになったのが、「赦免地踊り」の由来である。
8月26日に左京区久多で行われた「久多花笠踊(既UP)」の撮影後、『久多の花笠踊調査報告書』を読んだ。その資料では、都で室町時代末期から江戸時代初期に流行った風流踊りの影響を受けた「久多の花笠踊」への伝播経路として、途中の八瀬の赦免地踊りの存在が指摘されていた。「久多の花笠踊」の創始時期は詳細には不明であるが、室町末期〜江戸初期の風流踊りの影響がみられるとの報告からは、その時期かとも思える。が、「八瀬の赦免地踊り」の始まりは、は宝永4(1707)年の叡山との訴訟問題以降であることは明らかである。であると、久多の花笠踊調査報告書に書いてある久多への経由点の八瀬の方が新しいことになってしまう。久多花笠踊りの創始が不明だからだが、久多の方が古ければ都からの途中地点である八瀬の影響は無いということになる。八瀬の影響があるなら、久多の創始は江戸時代中期の宝永年間以降となる。その場合、都で室町末期江戸初期の風流踊りが相変わらず人気だったということで、実際にその時代に久多に伝わったのではないことになる。いづれにせよ、風流灯篭(久多では花笠と云う)が京都近郊で残っているのは、久多と八瀬だけだという。久多では現在は腕に抱かえて踊るだけだが、八瀬では頭に被るという。伝播経路の点、古風に被る点から、絶対に見てみたいと思った。八瀬の村は皇室と関係が深く、後白河院の頃より八瀬童子は度々お供を勤めていたという。この八瀬童子の「童子」とは護法童子の一種と考えてもいい。江戸時代中期に八瀬の住人が自ら記録した『八瀬記』という文書が残っているそうである。それによると八瀬の民は鬼の子孫であるという。なぜ鬼かというと、八瀬童子は天台宗門跡達を運ぶ輿を担ぐ者を八瀬童子といい、彼らは閻魔王宮から帰るときに御輿を担いだ鬼の子孫だというのだ。八瀬童子は、閻魔王宮と現世を往復する「輿かき」を役目とする閻魔王宮の配下の鬼の子孫だというのである。童子とは子供という意味ではなく、広義には仏法に帰依して三宝を守護する神霊・鬼神を意味し、狭義では密教の高僧や修験者・山伏が使役する神霊・鬼神をである護法童子を意味する。不王明王の脇侍の二童子(合わせて不動三尊)や役行者の前鬼・後鬼が思い浮かぶが、悪い鬼ではなく、善鬼である。このような冥界と現世を行き来する鬼は、民俗芸能の世界では奥三河の霜月湯立神楽『花祭 』の大神楽である擬死再生儀礼における鬼をも思い浮かぶ(注;大神楽の擬死再生は現在の花祭では行われていない)。花祭の大神楽に登場する山見鬼という鬼は、擬死再生儀式で冥界に入った信者を現世に戻す時、反閇(へんばい。現地ではヘンベと呼ぶ)を踏みながら死者を現世に再生させる先導をする。鬼のパワー有ってこそ、異界と現世の壁が突き破れるのであろう。この鬼の子孫である八瀬童子の持つパワーが天皇の御潜行の供奉に頼りにされたり、あるいは都の北東方で若狭方面への結界の守りとされたのであろう。『八瀬赦免地踊り』は、前記したように八瀬の住人が朝廷から賜った赦免地であるということを幕府においても決定付けた恩を老中秋元但馬守に感謝し、同公への高恩報謝でお社を建てて祀り、踊りが行われ始めたという(現地の由来書)。しかし祭を拝見してくると、やっぱりこれは感謝の念を含んだ盆踊りの一種だと思った。八基の切子燈籠と踊り子の風流踊り、、、まったく異質のような二つは、秋元但馬守の霊を八瀬の村にやって来させて切子燈籠に憑かせて秋元神社へ導かせる。神社へ神迎えされた霊は、庶民の祖霊をお盆の盆踊りで歓待するように、なれなれしく共に踊ることは出来ない。恩のある老中の霊であるから、風流踊りで歓待する。そして再度、切子燈籠に憑かせて送り返す、、、。このような死霊と現世の民との触れ合いが、異能の八瀬童子である人々によって『赦免地踊り』として奉納されているのが、本質ではなかろうか。異界と現世を自由に往来することができる八瀬童子であるからこそ、秋元但馬守の霊を切子燈籠に憑かせることも容易ではなかろうか。以上のように考えたが、同じように風流燈籠を扱う踊りながら、久多の花笠踊りは産土神様への感謝の踊り、八瀬赦免地踊りは盆踊りの一種と、本質は異なるとも思った。いづれにせよ燈籠のおぼろげな美しさと踊り子の可憐さがミックスした、すばらしい異空間であった。

     《参考文献》
     【久多の花笠踊調査報告書】久多花笠踊保存会(昭和49年3月)
     【京都魔界案内】小松和彦、光文社
     【花祭りのむら】須藤功、福音館書店現地で配布された由来書
     【八瀬童子 歴史と文化】宇野日出生、思文閣出版

上左右;燈籠。切絵ひとつ切り取るのに三ヶ月程かかる。切り抜いてから、和紙に貼り付ける。上左写真は宿元(長老宅)で撮影。秋元大明神の掛軸も拝見できる。上右写真は、神社境内で。

上左右;燈籠を頭に載せるのは、女装した男子中学生8人。燈籠着(とろぎ)と呼ぶ。

上三枚;踊り子(11〜13歳の女子)。10人で、神社境内の舞台で踊る。

上二枚;秋元天満宮馬場から石段を登り、屋形へ向かう。

上左;「汐汲み踊」、上右;「八瀬音頭」

上;「津島踊」



上二枚;燈籠廻し。参拝者(見物衆)の周りを廻る燈籠着。


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Last Updated  2010-01-01