日本!(念仏・風流)
No.22 随心院 はねず踊り
撮影場所&日;京都市山科区小野御霊町、平成20(2008)年3月30日
撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm、D80+SIGMA10-20mm
現地情報;駐車場あり。はねず踊りは、11時、12時半、13時半、15時の四回奉納。

はねず踊り は一日に四回奉納公演される。一回目は11時からで、今様と千本ゑんま堂大念佛狂言「土蜘蛛」そして地域女性会の踊りで、一時間弱の奉納であった。10時40分頃より雨が降り出して、本堂での公演に変更される恐れもあったが、なんとか薬医門前特設舞台で踊られた。二回目は大念佛狂言と女性会踊りは無しで、12時半から30分間。その後の13時半からは11時と同様の内容で、15時からは12時半と同じ内容であるが、雨のため室内(本堂)に変更になったようである。私は11時と12時半の二回の奉納を拝見させて頂いた。
「はねず踊り」とは現在、随心院の在る地に住まっていた小野小町の元に、恋愛成就の願いを込めて百夜通いを行い、百夜達成の目前の九十九夜に頓死した深草少将の逸話による、風流踊りである。はねず、とは踊りで跳ねないという意味ではなく、この小野小町所縁の真言宗善通寺派曼荼羅寺随心院門跡に咲く紅梅の薄紅色を、はねずと表現することによる。この「はねず踊り」は随心院でいただいたチラシによると、童謡や民謡の性質上、いつ頃から歌われ踊られたか不明である。はねず色の着物に花笠をかぶり、踊る少女達は愛らしく見える。だが、童謡が実はいろんな裏が隠されていると云われるように、この「はねず踊り」も意味深に思える。
まず、随心院の所在地の小野御霊という地名にドキリとする。御霊の御霊信仰とは周知の如くであるが、小野小町の怨霊を鎮める意味の地名か。そうではなく、小野小町が深草少将の御霊を鎮めるという意味の地名であろう。「はねず踊り」は四番まで歌詞があるが、その二番に深草少将への鎮魂が読める。
「少将さまがござる 深草からでござる 雪の夜道を とぼとぼとござる 今日でどうやら 九十と九夜 百夜まだでも まぁおはいりと」
つまり「はねず踊り」の歌詞では、本来は百夜で恋愛成就だったのだが、頓死した九十九夜でもOKだというのだ。これは怨霊鎮めでなく、なんであろうか。
恋愛成就目前に頓死して、冥界でも恋の妄執に焼かれて成仏できない深草少将の姿は、能の番組でもみられる。
能【通小町】においては、九十九夜目の深草少将を 「かように心を尽くし尽くして 榻のかずかずよみてみたれば 九十九夜なり 今は一夜よ嬉しやとて 待つ日なりぬ 急いでいかん」 と直前の心情を謡う。だが目的を達成できなかった深草少将は、小町が僧に受戒を請うのを妨げるように怨霊となって現れ、「煩悩の犬となって打たれるとも離れじ」 と凄まじい執念をみせる。心を弄ばれて生霊や怨霊となる女の姿ではなく、男でも恋慕から怨霊になるという凄みが、実は小野小町と深草少将の逸話なのである。そして、能【卒塔婆小町】においては、深草少将は小野小町に怨霊となって憑き、小町は半狂乱となる様が舞われる。中世において小野小町と深草少将の逸話が、どのような見方をされていたか、能【通小町】と【卒塔婆小町】の例を出すと明瞭であろう。
であるから、一見すると愛らしい「はねず踊り」の中央に位置する風流傘の存在も、まるで怨霊を攘する目的の『やすらい祭(花) 』を彷彿するに十分な存在であるともいえよう。

       《参考文献》
       【能 現行謡曲解題(全)】松田存、錦正社
       宝生流謡本




上写真6枚、「はねず踊り」

上写真2枚、「今様」

上写真2枚;千本ゑんま堂大念佛狂言【土蜘蛛】
中世末期、寺社が布教活動に念仏法会を開き、その余興に念仏踊りや寸劇を行った。宗教色が薄くなったが、京都の特定寺院内の狂言堂と呼ばれる舞台で全員着面で演じられるのが千本ゑんま堂大念佛狂言である。この日の演目は、能がオリジナルである【土蜘蛛】。能では45分程の上演時間であるが、コンパクトに要所要所を引き締めながら20分の上演時間で演じられていた。能での魅力を損なうことなく、魅力的に演じられていたのが印象的であった。


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Last Updated  2010-01-01