日本!(真清田神社)
No.5 一宮七夕祭り、真清田神社
撮影場所&日;愛知県一宮市、真清田神社、平成18(2006)年7月29日
撮影機材;Nikon D70s+NikkorVR 18−200mmF3.5-5.6

駅前から中央商店街を経て真清田神社さんまで、連続して吊り下げられる無数の巨大な七夕飾りの豪華絢爛さに度肝を抜かれる。開催の4日間に120万人が訪れる祭では、市内の各所にステージが作られて絶えずイベントが展開され、人々は飾の下の散策を楽しみ、屋台で味わい商店の期間限定セールを冷やかし楽しむ。祭りの興奮に盛り上がる真清田神社境内では、特設舞台で民謡や器楽演奏も行なわれている。その祭り特有の高揚した雰囲気の中、静かに摂社の服織神社ではご神事が斎行されていた。服織神社の御祭神は『萬幡豊秋津師比売命』で、織物に御利益のある神様であり、織物の中心地として栄えた一宮で崇敬を集めている。七夕の性格を考えると、七夕祭りの中核は真清田神社境内服織神社での祭典に有りと思うのだが、日本の神様は自己主張を強くされず神事も静かに斎行される奥ゆかしさが誠に神道的である。
人々は真清田神社を崇敬し参拝しつつも祭りが風流化(イベント化)していくに従い、ライヴ演奏やミス七夕など多くのイベントと商店のセールスや屋台の遊びへの関心が高くなる。それはそれとして人々が祭を楽しみ、活力を持てることには神様もお喜びになられるであろうし、人々が参拝するだけでも神威は亢進していくのだろうから、祭の目的はある程度満たしているのかもしれない。ただ、中核には神職さんや巫女さんによる神事があることを知るのは大切であろう。
さて、その七夕祭の中核についてであるが、七夕が今日のようにイベント化したのは最近であるが、始まりは古く奈良時代まで遡る。中国には天の川を挟んで対峙する牽牛星と織姫星を恋人同士になぞらえ、一年に一度逢瀬を楽しむという乞巧奠(きっこうでん)という習俗があった。これが日本に輸入されると、宮廷や貴族の行事となり、最も古い記録は持統天皇5(691)年に記されているという。星を祀るというのは星辰信仰であるが、一種の陰陽道的祭祀といえる。陰陽道祭祀には、律令制祭祀と同質の国家レベルでの儒教的祭祀と、道教的性格の個人・民間レベルの星祭という道教的な星辰信仰の2つの流れがあるという。星辰の祭祀は多く、陰陽道の神々は、この星辰から派生したものが多いという。このことは興味深い。なぜなら『古事記』に星の神は登場しないからである。天照大御神が昼の神様である対極の夜の神様は、神々の体系から外れているということらしい。その外れた神々を陰陽道でしっかり補っているし、昼の神と夜の神の習合さえ起こっている。伊勢神宮で“太一”という表現は天照大御神であり、星の神である北極星でもあるのだ。この星辰信仰の影響は、古事記にも“隠れキャラ”として出てくる。スサノオが暴れた時に機織りをしていた服織女こそ天照大御神であり、七夕(棚機)の織姫であるというのです。では相手の牽牛星はというと、日のカミであり、そのカミが日を祀る棚機(たなばた)女を訪れるのが神の降臨だというのだ。カミが一年に一度、来訪神として降臨されるとき、棚機女はカミに着せる着物を織り、カミの一夜妻になる、というのが女司祭者の巫女ということだ。後にアマテラスが棚機女から日の神へと神格の変化が起こったようだが、、、。この話の広がりは、アマチュア写真家のギャラリーの文としては大きくなりすぎて、手に負えなくなります。いづれにせよ、七夕祭りの中核で御奉仕される、神職さん巫女さんの姿を写真で御高覧頂きたく思います。
なおポートレート的に撮影した巫女さん写真は、少々の面識あってこそ可能であったことをお断りしつつ、巫女さんに感謝申し上げます。そして宮司さまにも御礼申し上げます。

《参考文献》
【年間行事・儀礼事典】東京美術
【陰陽道の本】学研、ブックスエソテリカNo.6
【古事記の本】学研、ブックスエソテリカNo.40
【伊勢神宮ー東アジアのアマテラス】千田稔、中公新書
【アマテラスの誕生】筑紫申真、講談社学術文庫

上左右写真、境内の七夕飾りと短冊

上左右写真、神職さんの参進と退下

上写真三枚、火の輪くぐり
参拝者は火の輪をくぐり、巫女さんに鈴祓いを受けます。
真清田神社さんの御祭神は『天火明命』で、太陽の火や熱を神格化した神様だと云われます。
「茅ノ輪」は牛頭天王にちなんだ輪くぐりですが、ここの神社では御祭神名にちなんだ輪くぐりなんですね。火の輪は太陽を意味してるのでしょう。

上写真三枚、ポートレート的に。

上写真、舞楽奉納;神楽舞『浦安ノ舞』巫女舞。

上左写真、舞楽奉納;神楽歌『其駒』人長による舞。
上右写真、舞楽奉納;唐楽『蘭陵王』出陣の舞と云う。


撮影日;平成19(2007)年7月28日
撮影機材;Nikon D70s+SIGMA18-50mmF2.8、D80+VR18-200mm

七夕は道教の星辰信仰からきている。もとは宮中の儀式であった裁縫の上達を願う乞巧奠(きこうでん)が、民間に形を変えて流行したものである。民間において短冊に祈りの歌などを書く習慣は、識字率の上がった江戸時代に始まったらしい。といっても、そのような風習が広まったのは、都会部に限られていたかもしれない。柳田氏()によると、7月7日は村々においてはむしろ墓薙ぎ盆道作りなど、15日の祖先が訪問してくる待ち受け準備の日であったようだ。「七夕送り」と称して、好まぬ邪霊を送り出し、盆を清らかな日にしようとした意味では、正月前の煤祓いや六月晦日の禊に類するものにも例えられる。
一宮市では、7月最終木曜日〜日曜日に、駅前から真清田神社さんにかけての広範囲で特設舞台を設置するなどして、多くの行事が行なわれる。無数の巨大な七夕飾りの下を喧騒に身を任せ夕涼みしながら歩き、真清田神社さんに参拝する。そして神楽や舞楽を奉拝(鑑賞)する。夏の日の一日、そんな贅沢な夕べも楽しいものだ。
  ()【年中行事覚書】柳田國男、講談社学術文庫

上左写真;織物で栄えた一宮市。織物の神様の服織神社へ、御衣奉献行列が進む。
上右写真;真清田神社境内の七夕飾り。

上左右写真;神楽【浦安之舞】

上左右写真;舞楽【蘭陵王】


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Last Updated  2008-01-04