日本!(雅楽・舞楽)
No.22 京都御所 『五節舞』
撮影場所&日;京都市上京区御苑、平成19(2007)年11月4日&23年11月3日

現在の京都御所は、土御門東洞院殿とよばれた里内裏の一つで、光厳天皇が元弘(1331)年にここで即位されて以来、明治の初めまでの皇居である。ただ、現在の建物の殆どは安政2(1855)年に再建されている。 築地塀が御所の周囲を取り囲むが、北東のいわゆる「猿ヶ辻」と呼ばれる塀の一角だけが左写真のように凹型に窪んでいる。これは御所の北東の鬼門除けの呪術的な建築がなされているのである。そしてその凹部の軒下には網で囲まれた中に、御幣を担いだ猿の彫刻が置かれている。これは猿には魔物の侵入をくい止める魔力があると信じられている呪具の一種であろう。この猿の存在から、かつては「つくばいの辻」と云われていた一角が「猿ヶ辻」と呼ばれるようになったのである。この場所は、文久3(1863)年5月20日に深夜に通りがかった姉小路公知が賊に殺傷された、「猿ヶ辻の変」の現場でもある。ちょうど私が左写真を写している時に背にしていた林に刺客は潜んでいたのだろう。


■ 五節舞 (京都御苑・京都御所 新御車寄にて)

  五節舞(ごせちのまい)は新嘗祭、大嘗祭で舞われる曲であるから、殆ど一般がお目にかかれない舞であるが、京都御所の秋季一般公開に合わせて特別に舞われた。京都御所でも公開されるのは平成8年以来、11年ぶりに平成19年に、そして4年後の平成23年に舞われた。そのような珍しい舞であるから、私の横に居た女性は五節舞を拝見するために関東や北海道からもいらっしゃっていたほどであり、この舞のために全国から多くの人が足を運んだものと思われる。舞楽ファンだけでなく、御所一般観覧者で舞の公開された新御車寄は賑わった。

さてこの曲、天武天皇の時代に創始されたという伝説がある。【有職故実】によると、毎年の新嘗祭では舞姫四人で舞われるが、大嘗祭では五人で舞われるという。であれば今回は、四人舞の新嘗祭バージョンということになる(大嘗祭バージョンは畏れ多いということだろう)。この曲は一時途絶えたが大正年間に復興し、近年では今上天皇の即位の大嘗祭で62年ぶりに舞われた。曲の名の由来は、天武天皇が吉野行幸の際、夕暮れに和琴を弾いていたら天女が舞い降りて五度袖をひるがえし舞ったという逸話からだという伝説がある。

昭和に入って作曲作舞された「浦安の舞」や「豊栄の舞」の元祖的な舞だが、祭典における正式な舞の場合には一般庶民が目にすることのない、いわば秘曲である。


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Last Updated  2011-11-25