撮影場所&日; | 名古屋市緑区大高、氷上姉子神社(熱田神宮摂社) 平成18(2006)年3月26日 |
撮影機材; | Nikon D70s、AF80−200mmF2.8D |
昨年と二年連続で太々神楽を奉拝させて頂きました。昨年同様に、うららかな日差しの下での神楽は、春の訪れを実感します。 学生の新学期ではありませんが、春の長閑な日に神楽囃子を聴いていると、これから初冬の霜月神楽開始までの期間、各地の神社に参拝させて頂き、そこでどのような神事や舞楽との奉拝・出会いが出来るか、ついつい思いを巡らせます。地元の神楽で、そのようなスタートを切ることができるのは幸せなことです。 氷上姉子神社太々神楽は現在、七曲が伝わってます。式正、神かかり、かずらの舞、矛の舞、ほそめの舞、笑楽、そして再び式正です。 今回は【式正】を舞われる巫女さんの写真をUPしました。優しい光が差し込み、木々の新緑が眩しい神聖な空間での舞姿は清浄感に満ち、そして拝の姿がかくも美しいのかと感嘆するほどです。拝殿という室内での巫女神楽舞も厳かですが、地と風と空に包まれた巫女神楽舞も、高潔さに溢れています。 氷上姉子神社の太々神楽は、元々は熱田宮で行なわれていた神楽の流れをくむものです。熱田宮では正徳2(1712)年に始まったとされています。以来、江戸時代後期と明治の二回の変革を経ているようです。 文政5(1822)年に、新太々神楽として社家が中心となって江戸など各地に広めようとすると同時に、拝殿で舞っていたのが願主の元に出張もするようになったようです。やがて神楽が興隆するのでしょう、周辺の神社にも講を結成して神楽が舞われ、熱田宮からも楽人が出向いたようです。当時は、現在の7曲を含めた全19曲で、演目名に【湯舞】があることから、現在は無い湯立てが有った可能性もあります。明治時代になって、熱田神宮では太々神楽は舞われなくなりましたが、摂社の氷上姉子神社では太々講の行事として続けられています。現在は一曲が1〜3分程で、全部でも20分弱で終わってしまいますが、かつては長い曲だったのかもしれません。 正徳2年に熱田宮で始まった神楽は、他所から導入したということです。都の持明院&舟橋家の指導によって磐戸組という神楽を習ったという説と、江戸芝神明飯倉流を導入したという説があるようですが、詳細は不明です。伊勢神宮では寄合神楽といって毎年11月13日に神楽役衆が一口頭太夫の家に集まり、古例の神楽を執行して国家安穏・五穀豊穣に福寿を祈願したそうです。寄合神楽に対して、太々神楽・大神楽や小神楽といって、諸国からの参拝者が祈願立願をするのに、天照大御神を勧請して祈願する神楽を奉納していたようです。このようなシステムを伊勢神宮で企画したのは御師(御祈祷師)でありました。熱田神宮(宮)でも神楽による祈願を参拝者に勧め、各地に講を結成させたのは御師であることから、熱田でも伊勢神楽との関連や影響は想像することができるでしょう。 |
《参考資料》 【お氷上さんの太々神楽】氷上姉子神社配布リーフレット 【隠れ里の祭り】山崎一司;富山村教育委員会 |
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日本武尊が東国平定の帰途に、ここを本拠としていたオトヨノミコトの娘、ミヤスヒメノミコトと結婚した。 |
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【参考文献】 『花祭論』愛知大学綜合郷土研究所;岩田書院
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Last Updated 2006-04-21