舞楽【蘭陵王】(陵王、羅陵王、没日還午楽など別名)の舞を、皇學館大学雅楽部と、厳島神社でUPしました。 舞楽【蘭陵王】は、2005(平成17)年度のNHK大河ドラマ『義経』のタイトルでも舞われることから、お茶の間でもポピュラーになった曲ではないでしょうか。(舞人さ んは、東京楽所の岩波孝昌氏) この曲は、大仏開眼供養(752)に来日した林邑僧仏哲が日本に伝えた曲とも、唐に留学していた尾張浜主が承和2(839)年に帰国して伝えたとも云われてます。 1500年前の南北朝時代、北朝の北斉(550〜577)に、才知武勇に優れていたが美男子過ぎて(!)諸兵士の士気が上がらないという蘭陵県の長恭王がいた。で彼は戦意を鼓舞するため、龍の面を憑けて戦い、戦果を上げたという故事に基づいた舞です。中国正史の「北斉書」(636)によると、その功績を讃えて蘭陵王入陣曲を作ったそうである。 左方の走舞で、別装束で舞ます。 |
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雅楽部は昭和39年創部で、文学部生を中心に約30名の部員が各楽器ごとに分かれて練習、打物を交えて合奏や舞を練習されてるとのことです。定期的には、7月の内宮奉納演奏会、12月の定期演奏会を中心に全国の神社でも奉仕されてるとのことです(皇學館大学雅楽部のHPより)。 参集殿能舞台は舞台と見所最前列の距離が20mはあり、その間の白州は野外となってます。当日は梅雨の大雨でしたが見所は盛況で、舞人さんは力強く華麗な舞を披露されました。ただ、撮影は雨越しとなるので、雨足が写り込んでいます。 当日は他に、神楽【豊栄舞】や管弦曲も奉奏されました。 |
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当日の皇學館大学、舞人の竹原さんより、下記のお返事を頂戴致しました。ありがとうございます!
お写真を見させていただき、改めて、自分が伊勢の神宮で舞を舞ったということを実感しました。 |
市立祭は神社の周囲に市が立った名残の祭祀です。かつて漁師さんらが漁労の道具などを取引していた市場が、存在していたと思われます。その時に関係者が神社に漁労の安全と繁栄祈願の奉納を行なっていたことで、神社の祭祀として取り込まれたのでしょう。 現在は市は立たなくなってますが、祭祀のみが存在してます。祭祀に続いて舞われる舞楽も、あるいは奉納者の立願に奉奏されたのかもしれません。 |
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厳島神社は「斎(いつ)き島」という神の島からきた名前で、かつては島そのものが神でした。広島湾西南に位置する瀬戸内海の島は、航行の安全を守る島として船乗りの崇敬を集めていたわけです。そして神社は、推古天皇の御世(593〜638)に、航海・海の守護女神の宗像三神(市杵島姫命、田心姫命、タギ津姫命)を現在地に勧請したのが起こりといわれてます。その厳島神社が著名になったのは、平清盛が安芸守に任じられてから社殿の増進をしたり、四天王寺の舞楽を久安2(1146)年にここへ移したりして栄えてからです。以来、後白河法皇の御幸を始めとして公家や武将の崇敬を集めてきました。
舞の舞台は、祓殿の野外に高舞台があるのですが、当日は雨のため祓殿内部での奉奏となりました。本殿向きが正面ですので、舞人さんは野外を背に舞われるという、完全に逆光になる美味しい光線状態でした。ただ、フラッシュを焚いて写したコマはシャープに写りますが、どうも面白みに欠けました。今回のUPは、すべてフラッシュ無しでの写真です。実際には背景の野外の明るさに露出が惑わされるので、舞人さんに露出を合わせると、ISO800で1/10秒f3.5(18−50mmF2.8レンズ)という厳しい条件でした。 |
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《参考文献》 【神社】岡田米夫;東京堂出版 【雅楽壱具】林陽一、東儀俊美ら;東京書籍 【雅楽がわかる本】安倍季昌;たちばな出版 |
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Last Updated 2005-09-27