日本!(雅楽・舞楽)
〔鄙舞楽・地方舞楽〕 No.1 小國神社十二段舞楽
撮影場所&日;静岡県周智郡森町、小國神社
2005年4月17日

雅楽は広義には、国風歌舞、大陸系楽舞そして歌物であるが、狭義で大陸系楽舞だけをイメージする場合がある。
この大陸系楽舞は、舞を伴う舞楽と、管弦だけの曲に分けられる。奈良時代には、神社仏閣や宮廷の儀式や宴のために、楽舞を多用するようになった。
文化輸入の盛んだった奈良時代を経て、日本文化再認識の平安時代になると、大陸系楽舞を日本人の感性に合ったように曲も楽器も改編・改作する楽制改革が行なわれた。
この改革によって馴染みやすくなったのであろうか、平安時代中期からは公家の趣味教養として盛んに奏されるようになった。そして古い雅楽寮は楽所と名を変えて、京・南都・四天王寺の三方楽所(さんぽうがくそ)・三方楽人という楽家相伝で受け継がれていくようになった。
雅楽は、この三方楽所によって中央でのみ受け継がれてきていたと思っていた私は、地方に中央とは独立した舞楽(鄙舞楽ともいう)が存続していることを知り、大変驚きました。本日UPしました、小國神社十二段舞楽もそうです。
舞楽の地方への伝播は、密教寺院や神社の法会・神事に組み込まれ(by森町HP)、または都の戦禍に晒されて地方に避難した楽人によって伝えられた(by「雅楽への招待」)ともいわれる。あるいは室町時代になり、都で能・狂言が盛んになり公家や武士の好みの変化で、新しい活路を求めて地方へ散った楽人がその土地に根付いた(by「雅楽」)ともいう。

森町の小國神社と天宮神社では四月に十二段舞楽が奉奏されます。中央の舞楽では楽制改革で、唐・林邑・天竺を経由したものを赤系統の装束で左方舞(唐楽)、朝鮮・満州経由を青系装束で右方舞(高麗楽)と称して、左右ほぼ同じような内容の舞を舞って番舞(つがいまい)とします。
舞楽曲には左方舞の曲、右方舞の曲と有るのですが、小國神社と天宮神社では同じ舞を舞いながら、舞ではなく神社そのものを左方と右方に分けてます。小國神社が左方舞で赤系装束、天宮神社が青系統装束で右方舞です。これはこの地域の蓮華寺を中心とした一宮一山組織(神宮寺の天台密教僧)が関係していたことにより、左方舞・右方舞を金胎両部の曼荼羅世界に見立てたことによるようです。

小國神社舞楽は、四月十八日に近い土日に奉奏されます。私が行った日曜には、11:00〜12:00、15:30〜21:00に舞殿で舞われました。
14:00〜15:30には同じ境内で神幸祭が斎行され、神職さんのみならず楽人さんも参進され、こちらも見逃せません。


小國神社は『遠江風土記伝』による社記では、欽明天皇16(555)年、大乙貴命(大国主命)が本宮山に出現、寿瑞を示したので勅使が遣わされて山の南の宮代の地に新宮を営んだことが起こりという。
戦国時代には武田と家康側の戦争に巻き込まれて社殿は焼け、後に家康が再建している。現在の社殿は、明治年間の建築です。
中央の写真が、舞殿と本殿です。
写真左は境内で行なわれていた煎茶の湯で、右は手水舎で、森町の女性にモデルになってもらいました。ありがとう!


【神幸祭】
参道の一ノ鳥居とニノ鳥居のちょうど中間、巨木に囲まれて昼なお暗い一角に神幸所(御旅所)があります。
14:00時、天鈿女の役の少女と着面の猿田彦命に先導されて、御神輿が渡御してくる。その神列が神幸所に入った頃、一ノ鳥居方向から本日舞楽を奉奏する舞人・楽人らが北進して神幸所に入る。
神幸所では、御神饌、祝詞奏上、巫女舞が奉納されて神威の翻りと神霊の復活更新を願って、本殿に還御となる。
舞楽を舞う舞人のうち、稚児は神の子として神幸所への道行きと舞楽舎までは地面に降ろすと穢れるということで、大人が肩車で列して行きます。

【太平楽】は、乱世を正すという舞いでここでは「太刀舞」といい子供四人で舞ます。
【安摩(あま)】【二の舞】安摩に続いて舞う二の舞は、中央三方楽所では同じ左方舞で連続するから「答舞(とうぶ)」といいます。
中央楽所では安摩は二人で舞ますが、ここでは一人舞いです。紙に絹貼りした「雑面(ぞうめん)」という象形的な顔を書いた面を着します。
二の舞は、咲面(えみめん)を翁が、腫面(はれめん)を老婆で安摩の舞の真似をするのですが、上手に舞うことができずに茶化し合うという滑稽な舞です。【陵王(りょうおう)】は北斎の蘭陵王は、容姿が美しすぎて戦意を鼓舞できないので、怖い面を着けて戦に臨んだという故事による、中央では左方舞です。ここでは竜頭を頂いた鼻の尖った面で舞います。スピード感のある舞いでした。
【蝶の舞】UPしませんでしたが、「鳥の舞」も奉奏されました。中央での《胡蝶》《迦陵頻》がデフォルメされたのではないでしょうか。稚児四人での舞いでした。
【納曽利(なそり)】中央では双龍舞といい、二人舞で雌雄の龍が戯れる様といわれます。一人舞いは落蹲(らくそん)といいますが、ここでは一人舞いでした。【陵王】の番舞です。
【獅子】【色香(しきこう)】獅子は、十二段舞楽の最後の舞です。獅子が二人、獅子伏せで計三人で舞います。舞殿周囲の提灯を獅子らが突いて落とし、それを持って帰ると御利益があるということで、周囲に地元の人達が殺到してきます。
色香は、日光月光菩薩を表わす金銀の円板を背に舞い、仏の舞いと云われています。中央の舞楽には色香という曲は無いのですが、廃絶曲で獅子と番曲の「菩薩」という曲があり、その可能性があります。中央ではあるいは明治の選定譜で廃絶にされた曲が、この地方に残存しているとすれば興味深いことです。


【太平楽】


【安摩】

【二の舞】


【陵王】


【蝶の舞】

【納曽利】


【獅子】

【色香】

《参考文献》
【雅楽壱具】林陽一ら:東京書籍
【雅楽】木戸敏郎編:音楽之友社
【雅楽】別冊太陽:平凡社
【雅楽への招待】小学館
および小國神社パンフレット、森町HP。


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Last Updated  2010-01-01