| 撮影場所&日; | 大阪市天王寺区、平成17(2005)年8月4日 |
『三方楽所・楽家』という呼び方があります。京、南都(奈良)そして天王寺(四天王寺)です。この呼称が使われ始めたのは、古来からの『雅楽寮(うたまいのつかさ)』が消滅して外来の楽を専門に奏する『楽所(がくそ)』が設けられる、平安時代の楽制改革の頃からのようです(天正2;948年)。各楽所の楽人さんは楽を世襲制、一子相伝で伝承されて、宮廷・公家や寺社に奉仕されてきました。京では応仁の乱による荒廃と共に、宮廷祭祀や節会にも京楽所だけでは維持困難となり、南都や四天王寺からも応援を求めたことから、それら楽所も宮廷に召されることが多くなったそうである。 今回UPしました天王寺楽所は、620年ころの秦河勝を祖とするといわれてます。後の平清盛は、ここ四天王寺の楽人を平家の守護神とした厳島神社へ連れて行き、そこで雅楽・舞楽を普及させてます。また、応仁の乱後頃から地方へ散った四天王寺系の楽人さんが地方の寺社に奉仕をされて、現在でも地方舞楽・鄙舞楽として伝承されていることを思えば、四天王寺楽所の成した功績は大きいものがあります。三方楽所は徳川家光の時、家康供養のために江戸に各楽所から楽人を江戸に呼び寄せ、紅葉山に住まわせたことから、『紅葉山楽所』を構成させました。明治になって、三方楽所に紅葉山楽所を統合、楽所を廃止して『宮内省雅楽局』が設置されてます。 そして四天王寺では天王寺楽所の伝統を「雅亮会」が受け継いで、現在に至ってます。 四天王寺は593年に聖徳太子によって建立された仏教寺院で、仏教儀式では雅楽・舞楽が奏されています。一般人が拝見可能な舞楽は、聖徳太子の命日の法会である『聖霊会』が4月22日。以前は25曲が奉奏されていたそうですが、現在は10曲で、それを補い披露する意味の『篝の舞楽』が、8月4日。盂蘭盆や千日詣の前夜祭ともされ、それが今回のUPです。そして10月22日の『経供養』の計三回で、舞楽が拝見可能です。 今回使用のカメラは、Nikon D70(ISO800で撮影)、レンズはNikonで24-120、80-200�� とSIGMA18−50�个任后� |
| 【振鉾】の後、聖徳太子の宝前に献灯し、茶・菓・花を供え奉ります。盤渉調・越天楽が奏される中、多くの浴衣姿の女性がお供えされました。そして高舞台の四方の篝に火入れです。火入れ後は、【承和楽】【迦陵頻】【納曽利】【長慶子】と続きます。 |
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左方の平舞。襲装束(かさねしょうぞく)で四人の舞。答舞は、仁和楽。
| 序破急のうち、急のみを児童が舞う「童舞」で、今宵、男の子による舞でした。神社では巫女さんが舞われることもあります。 |
| 双龍舞で雌雄の龍が舞い遊ぶ姿とも、昇天する姿とも云われます。、一人で舞う場合は「落蹲(らくそん)」といいます。本年7月10日の厳島神社の納曽利は、落蹲でした(未UP)。ただ、『枕草子』の時代には二人舞を落蹲と云ったともいわれてます。【蘭陵王】の番舞(つがいまい)です。 |
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≪参考文献≫ 四天王寺発行パンフレット 【雅楽】木戸敏郎編集日本音楽叢書1;音楽之友社 【雅楽】別冊太陽;平凡社
≪許可書≫
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Last Updated 2009-12-29