日本!
No.1 塔身輪式宝篋印塔
1982年頃、源平〜戦国時代の武将の史跡を多く訪ね歩いた。その時に出会ったのは、おびただしい数の墓石・供養塔である五輪塔であり宝篋印塔でした。特に好きな場所は、鎌倉市の鎌倉〜室町時代の横穴式墳墓堂である“やぐら”です。歴史上に実在した人の証が書物ではなく、墓石という有形の姿で目の前にあり、その墓石の風化具合と静寂な空間に酔いしれたものです。その“やぐら”内部に安座するのは、殆どが五輪塔でした。日本では平安時代後期から遺例が見られ、遅れて鎌倉時代に経塔として出現した宝篋印塔と共に中世では供養塔婆として造立されるようになりました。
五輪塔のルーツは阿育王の故事にならった、呉越国王銭弘淑の金塗塔にあると云われている。ただ、五輪塔が“金胎理智不二”の密教の五大思想の具現化した形としても、それが死者の鎮魂慰霊塔となるには、飛躍があったと思う。その点を佐藤氏は「五輪塔として表現された五大思想は、一種の宇宙観である。(中略)森羅万象すべての生命のありようが観念化されて凝縮されている。密教では即身成仏を説き、成仏の観念をより身近なるものにする努力があった。成仏とはまた生死を越えることであった。五輪塔の思想は成仏の思想によく合致していた」()と分かり易く五輪塔が墓石となる背景を述べられている。他の石塔においても背景は同じであろう、と述べられているが、どの本を調べても五輪塔や宝篋印塔の選択はどうなっていたかに関して記した記述は不明です。
五輪塔、宝篋印塔と申しても、各人の顔がそれぞれであるように、表情が違います。同形のものが規格品として出回るのではなく、子孫の意志か生前の本人の希望か、あるいは石工の流派の違いなのか、それも不明です。ただ、鎌倉時代から江戸時代への時間の流れでみると、同じジャンルの石塔の中でスタイルの変化はあります。しかしながら或る時に、宝篋印塔でありながら五輪塔の構成物が入り込んだ極めて稀な形の石塔の存在が有ることを知りました。リンク先で石造美術に詳しい ほあぐら氏(http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/)によると、嘉津山氏が『輪篋折衷式』、石田茂作氏が『球心宝篋印塔』と呼んでいる石塔です。宝篋印塔の塔身だけが五輪塔の水輪の形をしているのです。ほあぐら氏は『塔身輪式宝篋印塔』と呼びましたが、最も特徴を言い表した呼称だと思います。なぜそのような形の石塔が生まれたのか、重要な点は分からずにいますが、何例か写真をUPして構造的な特徴を記しました。もし同様な石塔を御存知でしたら、ぜひお教え下さい。

)佐藤宗太郎【石と死者】P.206、すずき出版
(撮影機材;Sony CyberShot F828、Nikon D70&D70s 他)

左写真(滋賀県東近江市・石塔寺;平成18年6月4日撮影)

 右側の石塔は、オーソドックスな宝篋印塔である。相輪の伏鉢、基礎に反花をあしらい、基礎内には蓮華の模様。塔身に四方仏とみられる瘢痕があり、時代的には室町期であろう。左側には宝篋印塔の笠を持ち塔身部が五輪塔の水輪の石塔がある。相輪が五輪塔の風・空輪であり、後世のサイボーグかと思われないではないけど、静岡県清浄寺の例もあり、『塔身輪式宝篋印塔』の可能性も高いです。




上左写真(静岡県榛原町清浄寺;平成16年2月15日撮影)
上右写真(静岡県島田市慶寿寺;  〃)

上左写真は650〜700年前の勝間田氏の菩提寺における一族の墓石である。段形および格狭間のついた基礎などは宝篋印塔だが、相輪が五輪塔の風・空輪形態である。いづれの石塔も形態的に統一性があり、各塔の構成要素もバラつきが無く、サイボーグとは思われ難くい石塔である。
上右写真は今川範氏(1365年没)の墓と云われる。相輪は明らかに後補であるが、左写真の勝間田氏石塔と同型と思われる。隅飾突起の角度からも、没年に相応する形態であろう。


上左写真(岐阜県海津市;平成17年9月1日撮影)
上右写真(滋賀県蒲生郡日野町・信楽院;平成18年6月4日撮影)

上左写真は、長島一向一揆の平定に出陣したものの、退却時の殿軍としてこの地で戦死(1571年)した氏家ト全(直元)氏の墓と云われる。前記3枚の写真の石塔と同様な系譜のデザインである。ただ、勝間田氏・今川氏と氏家氏の間には200年の隔たりがあり、前者と時間が離れているのもかかわらず、このような類似型が出現することが不思議でならない。
上右写真は蒲生氏郷氏(1595年没)の遺髪塔である。相輪は後補であろうが、笠から下は当初のスタイルを保っているように思う。蒲生氏の菩提寺でもあり、保存性には信頼性がある。しかしこのスタイルは不思議でならない。笠の下に水輪状の塔身、そして独立した反花座そして基礎、、、。基礎の下には立派な反花座と基壇がある。一般的には塔身に記される四方仏が基礎の月輪内に種子で刻されている。この種子は金剛界四仏(阿しゅく・宝生・弥陀・不空成就)であった。


       上左写真(滋賀県東近江市・石塔寺;平成18年6月4日撮影)
       上右写真(滋賀県東近江市・百済寺;平成18年6月4日撮影)

上左は、完璧に近い『塔身輪式宝篋印塔』である。宝珠を頂いた相輪の見事さ、そして反花座を荘厳した基礎。その中には蓮華と、見事である。隅飾突起の角度から、室町期かと、、。惜しいのは球形塔身部に四方仏が風化しているためか、認められない点である。ただ、球形部が笠の下部に穿たれた穴に嵌り込んでおり、工作的には自然であった。
上右は、完璧な『塔身輪式宝篋印塔』である。相輪、笠、基礎そして四方仏をレリーフされた球形塔身部と、見事な統一性である。この美しい石塔からは、さながら雅楽【盤渉調 越天楽】のような楽が聴こえてくる。この石塔を優雅にしているのは無論、卵型の塔身部であろう。この石塔を見ていると、サイボーグではない塔身輪式が確実に存在していたという事実に、感動する。鎌倉期の石塔と思われる。


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Last Updated  2006-06-09