| ■ 岡山県�機� |
上写真;天の岩(岡山県加賀郡吉備中央町)
写真上は「天の岩」というが、神々の依り代である磐座としての「天」を表すネーミ ングもあろう。 ただこの直立した岩の前で明治初年頃に 天野幽乱という人が金比羅宮の祭祀場を開 いたそうで、 苗字の「天」なのかもしれない。岩には金比羅神像が彫られている。 「天の岩」は直立した岩盤の上に巨石がはみ出して乗る重岩の奇跡的様相から、聖蹟 としての素養が 有ったのだろう。 熊が近くに居ると、獣臭がするという。ネットで検索しても、その獣臭の具体例が見 当たらない。 どんな臭いなのだろうか。 岩壁の斜面を上がった時、まるで スルメイカのような臭いがしてきた。周囲を見回 しても、人は 居ない。しかし自然の山中にしては異様な臭いに、急いで山を下りた。まさかとは思 うが、、、。 念のため 熊撃退スプレーを持参しているのだが、この時はたまたま車に置き忘れて きており、焦った。 |
上写真;石畳神社(岡山県総社市秦)
どこの磐座でも参拝する度に 神聖さに頭を垂れる思いになるが、最も感銘を受けて お気に入りである 磐座が、添付写真の石畳神社の磐座だ。 高梁川岸にそそり立つ岩盤だが、川の側から言うと裏側に相当する処から、磐座の近 くまで登ることが できる。 麓には拝殿があり、御神体である磐座まで行かないのであれば、そこの拝殿から拝す ることになる。 その拝殿から磐座へは10分弱も山道を登るのだが、道は整備されており歩きやすい。 磐座が御祭神であるから、いわゆる本殿という社殿は存在しない。 石畳神社の社格は、 式内社 村社、御祭神は 磐座経津主神であるが、経津主神は 「古事記」にも出る 神様である。もっとも、この記紀の神々が当て嵌められたのは明治以降だろうから、 それ以前は 素朴な地元の畏怖と崇敬を集める御神体、あるいは依り代だったのだろう。 磐座の岩盤が石畳のように岩が重なった様相をしていることから、この神社名になっ たのだろう。 それにしても頂上に乗っかる岩の不思議さよ、、、。 磐座の根元に赤い小さな鳥居があり、賽銭箱もある。お賽銭を入れるには、巾80cm ほどの狭い岩の上を 歩いて行かなくてはならない。落ちなければ、御利益有り、かな。 写真の左側の橋は、高梁川に架かる県道278号線の豪渓橋である。 |
上写真2枚;岩神神社のゆるぎ岩(岡山県赤磐市惣分)
岡山県赤磐市の 岩神神社の御神体で、「ゆるぎ岩」と呼ばれる磐座だ。 舟形の長さ約5mの巨石が台座岩の一点で支えられており、揺り動かすことが出来る ということだが、 万が一が有ると恐いので揺り動かしにチャレンジしなかったが。。。 よく見ると巨石を支える台座岩は 更に土台の岩盤に乗っているから、三段重ねに なっている。 赤磐市教育委員会による案内看板が有って、その解説によると「花崗岩が節理にそっ て割れ風化 して生じたもの」 ということだ。 しかしこの奇跡的な磐の情景が、そのような簡 単な解説で 納得できるのか? それより �� 縄文〜弥生時代の人による祭祀場として構築された �⊃世琉媚� 、、、とかいう説明が欲しかった、、、まぁ、それでは推測的説明になってしまう が。 |
| ■ 徳島県�機� |
上写真2枚;天石門別八倉比売神社(徳島市国府町矢野)
弥生時代の竪穴式住居が再現された「阿波史跡公園」(国府町西矢野)の横から山間 に入る細い路を登る。 対向車が来たらすれ違い困難な道を500mほど走ると、目的の神社の二の鳥居横に出 る。 目的の神社は 天石門別八倉比売神社だが、その奥の院には五角形の神籬(祭壇なの か判別困難)が 鎮座している。元々は古墳であった場所だそうだが、後円部頂上に鎮座する佇まいは 神秘的である。 神社の鎮座は安永2(1773)年03月の古文書によると、4世紀の古墳時代だという。 御祭神は大日霊女命(別名、天照大神)で、古文書『八倉比売大神御本記』には、天 照大神の 葬儀執行の詳細な記録が有るという。いわゆる、、、偽書の類だろう。。。それに邪 馬台国の四国存在説 によって卑弥呼の墓説も有るというから、X-ファイルである。 ところで青石のホロ積による石組みには祠があって鶴亀を合わせた「つるぎ石」が安 座して永遠の生命を 象徴しているという。この祠は後補かもしれないが、石組みは五角形をしていること に注目したい。 五角形と云えば陰陽道の陰陽五行の相生相克の理である五芒星であるから、かつては 陰陽道の祭儀が 行われていた可能性も有るだろう。 |
上写真4枚;磐境神明神社五社三門(徳島県美馬市穴吹町)
南北約7m、東西約22mの周囲を長方形に高さ約1.5mの石垣が囲み、内部に五社 の祠そして三カ所 の入り口が配されている磐境とも思われる神聖な空間だ。文献上の初見は安永八年 (1779)の『白山大明神 由来書』に有るようだが、その古文書の記載と現在の石垣では所在地のズレが有るよ うである。 現在の石組みは江戸時代後半以降の成立と思われるも、詳細は不明のようだ。 石組みで囲まれた内部で神降ろしや憑依など儀礼が行われていたかもしれない、神秘 的空間だ。 |
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Last Updated 2022-11-29