日本!
No.11.熱田神宮(天長祭・御煤納神事)
撮影場所&日;名古屋市熱田区神宮・熱田神宮、 平成17(2005)年12月23日

天長節は、奈良時代、光仁天皇の宝亀6(775)年に初めて行なわれ、中断していたのが明治元年に再興された。再興時の明治天皇の誕生日は9月22日であったが、太陽暦を用いるようになった明治6(1873)年以降は11月3日に変わった。やがてその日は昭和3年に「明治節」とされ、戦後には「文化の日」となった。そして「天皇誕生日」を「天長節」呼んだのも、終戦までである。
現在、神社では昭和23年7月に成立した『国民の祝日に関する法律』によって制定された「天皇誕生日」に、御誕辰を祝賀し、宝寿の万歳を祈願し奉る「天長祭」が斎行されている。
余談になるが、昭和3年から戦後までは、「四大節」という日が有った。四方拝(元旦)・紀元節(建国記念日)・天長節(天皇誕生日)・明治節(文化の日)であるが、現在は祝日名が変わっている。
平成17年の「天皇誕生日」は、前日からの降雪が積もり、名古屋市内でも積雪となった。三信遠地方での冬のお神楽撮影に備えて交換しておいたスタッドレスタイヤが、名古屋市内で活用できるとは思いもよらなかったが、圧雪道を走って午前9時15分には熱田神宮に到着した。境内も一面の雪景色で、神宮関係者の方が雪かきをして、参進路を確保されていた。
午前9時50分頃に斎館前に整列された神職さんは、祓所で修祓をされてから本宮に参進された。参進は、厳かで粛々として進み、威厳と格式のある様式美は、雪景色との調和からも神道風景の究極美であろう。
ご奉仕される神職さんは大変でしょうけど、熱田神宮で雪中の参進とは何十年に一回有るか無いかの千載一遇のチャンスであり、その情景に巡り会い“神道美”の目撃者となったのは、撮影者として幸運であったとしかいいようがない。
尚、神職さんの参進、退下および祭儀の一部は、境内から奉拝が可能です。

《参考及び引用文献》
【年中行事儀礼事典】川口謙二・池田孝・池田政弘:東京美術
【すぐわかる日本の神々】鎌田東二監修、稲田智宏・堀越光信執筆:東京美術


■御煤納神事(おすすおさめしんじ)
熱田神宮;平成17(2005)年12月25日

神々に新年を清らかな御社殿で迎えていただくため、神職さんが4m程の忌竹(いみたけ)で、本宮・別宮など40余社の御煤納め(煤払い)を行なう神事です。
神職さんは紙垂のついた忌竹で社殿を払っていかれますが、物理的な清掃行事でないことは明白です。これは禊祓儀式でありましょう。穢れを忌み嫌い、清浄さを尊いものとする神道では、忌竹で社殿を祓って清めていくのです。この“忌竹”は、一種の“祓具”であり、“呪具(じゅぐ)”であると云えるでしょう。一年間の間に社殿に取り憑いた穢れを吸い取った忌竹は、この御神事の後に根元が切断されます。切断とは、穢れを祓い捨てたという禊の具体的行為であると思います。
一昨日の「天長祭」の日は雪の残る冷え込んだ朝でしたが、本日は穏やかな晴天となり、清清しいご神事となりました。
境内では初詣参拝者を受け入れる準備も着々と進んでおり、一年の終わりと新年の足音を初めて実感した撮影でした。


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Last Updated  2010-06-10