日本!
No.32 率川神社 ゆり祭り(三枝祭)
撮影場所&日; 奈良市本子守町、平成19(2007)年6月17日
撮影機材;Nikon D80+VR18−200mm

率川(いさがわ)神社の御祭神の媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、三輪山を源流とする狭井川のほとりに御住まいになられていた。その由縁から、三輪山に咲いていたささゆりの花で黒酒・白酒の酒樽を飾り奉献し、御祀り申し上げるのが「ゆりまつり(三枝祭)」である。
 大神神社・狭井神社では「鎮花祭」という祭典があるが、率川神社のゆり祭(三枝祭)も鎮花祭の一つだという。
鎮花祭は国家的祭祀を定めた『大宝令(大宝元年、701年)・神祗令』や『延喜式(延長5、927年)』にも記載されている祭祀である。それは「春に花の散るとき、疫神が四方に分散して疫病を起こすのを鎮める祭り」である。祟神天皇の御世、疫病を大田田根子を神主として三輪山に大物主神を祀ったところ、疫病が収まったという謂れに由来しているのが鎮花祭である。京・玄武神社、今宮神社の「やすらい花(祭)」は、この往古三輪大神など疫神を鎮めるために営まれた神祗官の「鎮花祭」と、政争や戦争で恨みを持って死んだ特定の人物の怨霊が祟りをなすのを神として祀り上げて鎮撫する「御霊信仰」が結びついたものである。文武天皇の飛鳥時代の大宝年間(701−704)まで遡る三枝祭(ゆりまつり)は、純粋に疫病を鎮めるだけの祭であり、300年も後の平安時代に形をなしてきた特定個人の怨霊を鎮める御霊信仰的要素は無かったのであろうか、疑問に思うところである。祟神天皇の御世に疫病で半数近くの民が倒れた時、天皇の夢に大物主が現れて、自分が祟っていると告げる。神が祟っているから、三輪山に祀られるのだが、その延長線上で考えるなら同じ鎮花祭の行なわれる率川神社の御祭神も御霊信仰的であり、その祟りを鎮めるための祭りが「ゆりまつり(三枝祭)」である可能性はないだろうか。御祭神の媛蹈鞴五十鈴姫命は、神武天皇の皇后である。神武天皇が狭井川のほとりを通りかかった時、ゆりを摘んでいる七人の娘の中に見目麗しい娘がいた。その娘を皇后に迎えたのが、大物主命と玉櫛姫の子である媛蹈鞴五十鈴姫命である。この姫様の名前に“たたら”とあるが、製鉄治金のことである。三輪山山麓の纒向の地に、政治と宗教の巨大都市が三世紀に出現しており、この頃にヤマトの鉄の保有量が飛躍的に伸びている。神武天皇が東征でヤマトに入り、国家を建設しようと云う時に蹈鞴の姫と出合ったのであるなら、神話と考古学が一致した事例ではないだろうか。野に遊ぶ七人の娘は七族を意味し、その中の製鉄技術を持つ一族と結託したことを結婚は示しているのだろう。ではその蹈鞴の姫が御霊であったのか、それは不明ながら、夫であった神武天皇には呪いと祟りの説がある(岡裕二氏著より)。祟神天皇が疫病で祟りを恐れ祀り上げた三輪山の山上高宮(上宮)には日向王子(日向御子)が祀られているが、日向王子とは「日向の地に逼塞していた神の御子」のことだというのだ。皇室の祖としての神功皇后はヤマトの軍に北部九州で敗れ、北部から中部九州へ逃れ(それが天孫降臨)、その地からヤマトを呪った。祟神天皇の御世に疫病が流行ったとき、九州へ落ちた地からヤマトへの呪いを鎮めるために、日向にいた一族の王子が連れて来られたのだという(これが神武東征)。神話は後世に書かれたものだから、天皇の代が前後するのは仕方ないのだろう。ヤマトに日向王子(神武天皇)が連れてこられたのは、神功皇后一族の祟りと呪いを鎮めることを期待して迎え入れられたのだ。毒をもって毒を制すとは、このことか。
祟神天皇の夢で祟っていると語った大物主神の娘にして、ヤマトを呪った神武天皇の皇后という呪いの両輪に挟まれた媛蹈鞴五十鈴姫命に、何らかの呪詛の発動は無かったのか?
「ゆりまつり(三枝祭)」が京「やすらい花(祭)」のように疫神を攘するための祭りであることを思うと、可憐なゆりの花の背後には大きな闇の世界が広がっているような気がした。

     《参考文献》
     【海峡を往還する神々】関裕二、PHP研究所
     【神道祭祀】真弓常忠、朱鷺書房
     【今宮神社由緒略記】今宮神社


■ ゆり祭り(三枝祭) 祭典 10:30〜11:30

上左写真;ゆりで飾られた酒樽を供饌する。
上中写真;ご神饌。餅、ワカメ、鯛、カマス、あゆ、鰹、いか、アワビ、かや、大根、枇杷、牛蒡、白蒸(ご飯)、勝栗
上右写真;ご神饌の撤饌。よもぎの葉の蓋が付いている。


上写真4枚;巫女さんの「うま酒みわの舞」採り物は、ゆり。

上写真2枚;一般参拝者への、御神酒の直会。


■ 七媛女、ゆり姫と稚児の行列 13:30〜15:00

率川神社御祭神の媛蹈鞴五十鈴姫命は神武天皇との出会いの場で、七人の娘の一人としてゆりを摘んでいた。その謂れにちなんで、七媛女(ななおとめ)とゆり姫に稚児が奈良市内をのべ約3Km、行列で進む。先頭を行くのは、京「やすらい花(祭)」同様の風流傘である。
神社を出ると近鉄奈良駅前まで行き、アーケード街を抜けて神社に戻ってくる。

上左右写真;七媛女に傘で供奉する随伴員の女のコ。

上左写真;神社出発前の七媛女さん。 上右写真;神社での、ゆり姫

上写真4枚;七媛女さん


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Last Updated  2010-06-10