日本!
No.75 人身御供 〜 初午祭
■ 福井県敦賀市山、稲荷神社。  平成26(2014)年3月撮影。

『敦賀郡神社誌』にも記されている「御供(ごく)祭」の名で呼ばれていた行事が現在、毎年初午(旧暦2月の最初の午の日)直近の日曜日に「初午祭り」と呼ばれて行われるている。
本日の早朝、山からの雪解け水が流れ込む水垢離場で、褌姿の御供担(ごくかき)と呼ばれる8人が禊を行う。
御供担(ごくかき)は拝殿脇殿で法被に脚半、緑の帯、赤い鉢巻きに白緒の草履という装束を整える。
鳥居前で待機する社参行列には神職はじめ、素襖(すおう)に烏帽子(えぼし)をつけ、笏を手にした宮座の二十人衆も待機している。
そこへ人身御供(ひとみごく)と呼ばれる少女、腰元というこの場合は母親が加わる。8人の御供担が2つの櫃に入ったもち米と小豆を炊いたおこわの「赤蒸し」の御供を持って登場すると、いよいよ拝殿への社参の始まりである。
まず鳥居の脇に置かれた太鼓の上に晴れ着姿の人身御供を乗せ、古来より伝わるという綿帽子を被せ、真っ赤な着物を着せる。しかし直ぐに太鼓から下ろす。
社参は櫃を掲げ持った4人の御供担、人身御供と腰元そして神職さん二十人衆と続いていく。拝殿に入ると定型の祭式次第の祭典が斎行される。祭典では人身御供の少女も玉串奉奠を行う。祭典が済むと、御供担は拝殿前で櫃の中の赤蒸しでオニギリを作ると、再び櫃に納める。櫃に入れたまま境内に待つ氏子の前に来て、オニギリをふるまう。

この行事の由来である、、、かつて敦賀市の山地区には怪物のヒヒが現れて、田畑を荒らしていたという。困った村人が若い娘を「いけにえ」として差し出したところ、通りすがりの武士がヒヒを退治して村を救ったといわれている故事によるという。

かなり興味深い行事であった。まず武士によるヒヒ退治の話、そして人身御供という生贄の存在。

ヒヒ退治の武士といえば、岩見重太郎を思い出す。話が瓜二つである。
この岩見重太郎のヒヒ退治は、芸北神楽においても演目の一つにあり、近年の大衆演劇化した神楽においては、着グルミ姿のヒヒが登場して神楽を舞うユニークな演目となっている。 参照⇒http://www.photoland-aris.com/myanmar/japan2/033/
しかしヒヒなる野獣が日本に存在して、人間を襲うというようなことが有ったのだろうか?
ヒヒ退治の話、ヒヒへの生贄話を行事の原点としてして伝えるのなら、ヒヒの存在も証明されなくてはならないはずだ。そのヒヒなる生き物とは、生贄を奉げたら田畑を荒らさないという契約を結べるだけの、知的生命体であったはずだ(汗)。
だがヒヒの存在や生贄がどのように供えられていたかが明かさない限り、それらの話は何かを示唆した別事例の転化された事と考えられなくもない。それを考えるのは想像の粋を出ないが、想像してこそ民俗行事を撮影する醍醐味があるというものだ。
柳田國男も【 妖怪談義 (講談社学術文庫 P.151〜154)】において、本邦におけるヒヒの存在に疑問を呈しつつ、山人の類いであろうと記している。山中に棲む未知なる凶暴な野獣をヒヒと称しても、そのヒヒの範疇に含まれる実像は種々雑多であったろう。生き物では、近年でも問題となっているが山野を荒らす野猿、猪、熊、、、。人間では実際に山間に住む集落外存在の狩猟・炭焼・伐採などの山間の民、、、。広く範囲を拡大すれば、山崩れや川の氾濫や豪雪大雨などの自然災害や旱魃に類いまでも未知なる野獣ヒヒに含まれるかもしれない。山への崇敬と恐れが、ヒヒという未知の野獣を生み出したという心理の根源であろう。
では、実際にこの山における行事の本名『御供祭』において、人身御供という生贄のような存在は有ったのだろうか。
他所の祭りにおいては、実際には人身御供であったろうのに そのような伝承が無いもの。あるいは逆に人身御供とされながらも、実はそうではなかった、という例も考えてみなくてはならない。天邪鬼的であるが、さすがに人身御供とは只ならぬ事態ゆえ、あらゆる例を考えても良いであろう。
祭りの伝わる由来では、人身御供と呼ばれる少女はヒヒにささげられた生贄の少女の再現ということになる。しかし昔の事例として、実際に山に生贄にされた例は存在するのだろうか?それはなくとも、予祝的に奉げられていたのだろうか。当然神事なのだから、予祝すなわちモドキ的な行為であったのだが。予祝ならありえたかもしれないが、もし人身御供と云われ続けていても、実際は人身御供ではなかったとしたらどうであろうか? 私的には、人身御供とされる少女は、実は人身御供ではなかったように思える。 なぜなら、唐櫃の御供は御供担(ごくかき)が奉げ持ちながらも、生贄となる重要な御供である少女は歩かされているからである。人身御供なら、唐櫃よりももっと丁重に扱われるのではなかろうか。撮影に行った日には、少女より唐櫃が先行して歩いたが、本来は少女の頭上に唐櫃は奉げられて歩くはずである。そして鳥居前で太鼓に乗って赤い着物を着させられる一瞬の儀礼は、何であるか?それは少女に神が憑く瞬間の儀式ではなかろうか。この2点から、少女は生贄というよりも、神の託宣を授かる一夜妻のような巫女の存在ではなかったかと思うのだ。巫女が唐櫃の御供を頭上運搬する儀式が、本来の姿であろうと想像するのである。奉げる対象は、山への畏敬や山への恵の感謝と予祝の「山ノ神」であろうと思う。唐櫃を奉げ奉納に社参する巫女の存在が、いつのまにか巫女自身が御供そのもののように考えられてしまったというのが実態ではなかろうか。ヒヒ退治の武士の話自体が岩見重太郎のヒヒ退治譚と同一だからこそ、余計とそのように想像する。

上;水垢離。三度、入水する。山からの流水は雪と氷を含んでいる。

上2枚;鳥居前で太鼓に乗り、神憑きする。そして社参。この日の巫女(人身御供とも云われる)は5歳の少女。神社へ来た時は笑顔ではしゃいでいたのが、始まるとただならぬ事態に身を置き終始泣きながらの社参となり、巫女というより俗説のヒヒに奉げられる哀れな生贄の姿を想像させるのがリアリティあった。

上2枚;拝殿内の少女。不安げな表情は巫女というより、生贄にされる姿のよう(汗)。。。玉串奉奠も行った。

上2枚;唐櫃の御供でオニギリがつくられ、境内でふるまわれた。
(山の皆様に感謝申し上げます。)


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Last Updated  2014-10-24