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■ 愛知県日進市岩藤町、大安寺 五色園
愛知県日進市岩藤町に、 五色園(山)大安寺という浄土真宗単立寺院がある。 丘陵地帯の広大な敷地内には、約100体ものコンクリート塑像で、親鸞聖人の旧跡が 表現されている。 五色園の開園は昭和09(1934)年07月で、初代管主であられた森夢幻管主が教義の 視聴覚伝導を目的として設立されたのである。諸像はコンクリート像作家の 浅野祥 雲氏 が依頼されて作成し奉安されたのである。 浅野氏は明治24(1891)年に岐阜県中津川市に生まれ、中部東海地方で活躍された 作家である。没年は昭和53(1978)年であるから、ここ五色園での塑像は43歳の時の 作品群 ということになる。 像高2mほどの像が、表情豊かに物語っている様は圧巻である。 園内は入り口から入ると左右に分かれる道があり、右側の道は大通りで左へは山間に 入って行く。両方ともブロックに区分されたスペースに塑像が見られる。 なお、親鸞と関係ない像も見られるが、歴史的名シーンとして制作されたものらし い。 開園当時には園内に温泉や動物園も有ったようで、観光地としても賑わっていたよう だ。 下記にテーマごとのコンクリート像を UP するが、その作品の詳細なストーリーが 上記の五色園公式HPで御拝読頂きたい。 なお、拙HPにUPした像が現存する全てではない。 コンクリートによって像を作成し、かつては現在の寺社巡りのような信仰と観光の 融合を目指したテーマパークだったが、人の心も行動も変わっていく時代変化の中で も 変わらない存在感がある場所である。 |
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■ 月見の宴
生まれてから一言も喋らなかった親鸞が、2歳8か月の十五夜の宴の場で突然「なむあみだぶつ」と一声を発し、居並ぶ人は喜んだという。 |
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■ 信行両座
親鸞の提案で法然は、往生に必要なのは信心か、念仏を唱える行か弟子たちに試すことにした。 |
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■ 鹿ヶ谷鈴虫松虫の剃髪得度
法然の弟子の住蓮と安楽のもとに後鳥羽上皇の官女である鈴虫・松虫という女が尼になりたく訪ねてきた。最初は諫めたが決心が硬いため、剃髪得度を行った。 |
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■ 川越の名号
越後の国で布教を続けていた親鸞は、一夜の宿をかりた後に川を渡る。宿の扇屋が対岸で見送ると、扇屋のかかげる白い紙に名号が現れた。 |
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■ 板敷山弁円狙撃
親鸞が常陸の国への布教の道中、山伏の弁円らは親鸞らの暗殺を企てる。 |
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■ 弁円悔悟
親鸞の狙撃を企てたものの 親鸞の人柄に弁円は涙し、弟子入りを申し出た。 |
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■ 御田植
田植えのお百姓さんの中に入り、一緒に田植えをしながら教えを説いた。 |
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■ 日野左衛門門前枕石
日野左衛門の家に一夜の宿を求めるも、断られた親鸞。庭の石で眠るも、日野の夢に観音菩薩が現れて親鸞を泊めなかったことを咎められる。そして日野は親鸞を家に招き入れた。 |
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■ 身代り名号
親鸞の名号を夫に隠れて拝んでいたら、不貞を疑われて夫に切られてしまった。 |
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■ 箱根権現御饗応
関東から都へ向かう親鸞一行が、箱根にさしかかった。すると箱根権現のお告げであると、神主らが親鸞一行をもてなした。 |
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■ 夜盗耳四郎聞法の場
夜盗耳四郎は夜盗に入るとつもりが、法然を中心に説話をする話を聞くうちに感化された。 |
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■ 桜ヶ池大蛇入定の由来
名僧・皇円は桜が池で入定し、大蛇に姿を変えた。法然は大蛇と対話する。 |
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■ 肉付の面
仏法嫌いの姑が信心深い嫁を驚かそうと鬼の面を付けて待ち受けていた。嫁が念仏を唱えると鬼の面が取れなくなってしまった。しかし蓮如の法話を聞き懺悔したら、鬼の面は外れた。 |
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■ 桜井の別れ
南北朝の合戦の一場面、桜井の別れ。楠木正成と楠木正行の親子の別れだ。 |
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■ 日吉丸矢作橋出世の糸口
日吉丸(後の豊臣秀吉)は矢作川の橋の上で寝ていた。そこに野武士の蜂須賀小六の一行が通りかかり、小六の槍が日吉丸に当たってしまった。それを臆することなく日吉丸は指摘した。その恐れを知らぬ胆力に驚き、小六は日吉丸を取り立てた。 |
| ■ 不動明王 二童子 |
| ■ 縁結び弁財天 |
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Last Updated 2020-06-08