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■ 軍人墓地( 中之院 ) 愛知県知多郡南知多町大字山海土間 昭和40(1965)年頃、少年時代の記憶では、名古屋市千種区の或る小道の両側には墓 地が広がっていた。その一画に、軍人像が建っており、少年の私にも故人を写した像 であることが分かっていた。いつかまた、、と思いながらも歳月が経ち、近年通った ら墓地は整理され、道路も拡張されて住宅街になっていた。その墓地はかつては 「月ヶ丘軍人墓地」と呼ばれ、佐藤宗太郎著『石と死者』(すずき出版)には当時の 写真も掲載されている。 その「月ヶ丘軍人墓地」のコンクリート像が南知多の中之院に移転されているとお教 え頂き、参詣してきた(平成19年、2007年)。 移転したのは平成7(1995)年11月だという。その軍人像は92体残存して、台座付き が26体。台座無しが66体安座している。 軍人像は、丹羽寅次郎という人の呼びかけにより遺族が戦没者一時金を出して造像し たという。すなわち供養塔である。生前の写真を基に作像されているから、一体一体 の表情がリアルである。 石像の製作者は、中部地方で活躍したコンクリート石像作家の浅野祥雲氏(明治4〜 昭和53;1891−1978)による作である。 太平洋戦争後に進駐軍が軍人像の取り壊しを求めたらしいが、かろうじて残り、さら に近年の墓地整理の危機も乗り越えて、軍人像は戦争の悲惨さを今に伝えている。 像のモデルになっている兵士が所属していた名古屋第三師団歩兵第六連隊は、名古屋 城内に兵舎があった(その建物は現在は、愛知県の明治村というテーマパークに保存 されている。)。ここを駐屯地とした兵は昭和12(1937)年8月、兵舎を出ると徒歩 で13Km南の名古屋港まで行き、そこから知多半島の野間沖に停泊する巡洋艦・駆逐艦 まで艀で移動し乗船したという。そして「上海上陸作戦」において敵前上陸を果たす も屍の山を築き、上陸後半月で殆どが全滅したという。 コンクリート像は上官だけでなく、一般兵士の像も見受けられる。台座には出生など 経歴が読み取れる兵士もあった。親兄弟に、あるいは妻子に別れを告げる暇も無く、 ひょっとしたら行き先も告げられずに秘密裏の出兵であったかもしれない。彼らの心 中と残された遺族の胸の内を思うと、ただただ気の毒としか言いようが無い。戦争の 悲惨な負の遺産として、この像は忘れてはならないだろう(合掌)。 |
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■ 桃太郎神社 愛知県犬山市栗栖大平853 木曽川沿いに、「桃太郎神社」が鎮座している。御祭神は 大神実命(オオカムヅ ミ)で、 日本神話に登場する桃であり神。『古事記』では意富加牟豆美命と表記している。 仰々しい名前の神様だが実は 本質は桃で、桃 に神様の名前が付いたのだ。 この桃太郎神社の周辺には桃太郎の伝説に登場する 地名が実在し、この地が桃太郎の生誕地とされている。 神社は昭和05(1930)年に開創され、神社本庁承認という。 境内には桃太郎の話に因んだ像が30体存在しており、浅野祥雲氏が昭和26(1951)年 から 昭和44(1969)年にかけて少しずつ制作された像だという。 宝物館にはかつて、桃太郎が退治した鬼のミイラも有ったらしいが、焼失しており残 念である。 ただ、鬼の男性器だけは 珍宝 として展示されている(撮禁)。 |
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Last Updated 2020-07-27