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愛知県�供イ� UP した写真例の イワクラは、「磐(岩)倉」とか「磐(岩)蔵」と
表記すべきニュアンスの有る、御祭神や御本尊を収納した覆い屋の様相の例である。
ただしそれぞれの例が古代においては現在と全く別の信仰対象として崇められたり 用いられていた可能性は高い。古代の祭祀場を後世に仏教や神道の祭祀場に再利用 した例もあろうし、最初から仏教や神道の場として建造された例も有ろう。 ただどの例も、これほどの巨石をいかに構築したか?という疑問にに対する答えは 見つかっていない。 |
| ■ 静岡県�供� |
上写真2枚;立石稲荷(静岡県島田市野田波田)田圃のあぜ道を走り、国道一号線の下をくぐり 100mも走った先で車を駐車。 あとは100mくらい小路と階段を上がれば、磐座だ。 現在はお稲荷さんとして祀られており、焼津の漁師や島田の芸人たちが敬った ということだが、それは江戸後期〜昭和の頃の話だろう。昔は鳥居が10基も 並んでいたというが、現在は稲荷鳥居が3本立っている。 磐座の表面は無数の凹凸が虫食い状に開いており、何万年あるいはもっと昔は 海岸沿いの岩であり、波で浸食されたのではあいかと想像した。ちなみに現在、 この地の海抜は97mほど有るのだが。 磐座の姿は、頭蓋骨のように見える。 |
| ■ 愛知県�供� |
上写真2枚;シンメイ様(豊田市白倉町天ノ峰)名前の通り、天照大神をお祀りする祠が鎮座している。 ただ、縄文時代の遺物が出土しているらしく、その頃に起源をもつ 古代の祭祀場であった可能性が高い。 近年に整備されたのであろう、立派な手摺付の階段と鳥居が立っており、 今でも集落の氏神様として崇められているのだろうと思う。 |
上写真;不動滝 京良平不動尊(豊田市篭林町京良平)人家のある場所から山間に分け入って行くと、滝が有る窪みにお堂が 安置されている。窪みを用いた修行の場であった可能性も有る。 |
上写真2枚;岩谷観音(豊田市岩谷町堂ノ中)聖観世音菩薩と十一面観世音像の2体で、棲んでいた鬼を封じたという 伝承が残る岩屋だ。お稲荷様も岩屋に鎮座されている。 |
上写真2枚;風天洞・岩戸山観世音寺(豊田市大蔵町下田)愛知県豊田市の山中に、摩訶不思議な仏教空間がある。豊田市と云っても、続々と 新車が生まれる自動車工場を想像するなかれ。日本の産業を牽引する大工場の 存在する町とは思えぬ山間に、そこは存在している。「風天洞」と云う。 正式には「岩戸山観世音寺」といい、治承2(1178)年に覚至上人によって創建され た、 女人禁制の修行寺だった。 開山当時からまつられてきた観世音像は、戦国時代にはこの地を知行地とした原田家 の 先祖が元亀元年(1572)の三方原の合戦や元和元年(1615)の大阪夏の陣に念持仏と して 帯同もしたという。 このお寺では、何百あるいは何千もの仏像が参道や各所に立っている。仏教の像だけ で なく不思議な像あるいは、ヒンドゥー教の女神なのかと思われる像も見うけられて、 不思議な空間である。それだけでなく「胎内めぐり」の洞窟も存在している。 本当に不思議な空間で、時には脳内パニックを起こしそうになった恐怖空間でもあっ た。 岩の間の入り口から、地底世界に入り込むことができる。 |
上写真2枚;川売磐座(新城市海老)磐の割れ目の中に、役行者像が安置されていた。 |
上写真;鳳来寺 鏡岩(新城市門倉)高さ60〜70m、巾約100mの屏風岩だが、鏡岩と呼ばれるのは西日が当たって 反射しやすいかららしい。西日が当たるから、極楽浄土に近いと信じられて いたらしい。事実、この岩壁下からは平安時代後期から鎌倉時代初期の鏡や経塚、 骨壺も出土しているらしく、中世の霊地だった可能性がある。 |
豊川市一宮町西垣内の里宮に対して三河本宮山のお社を、奥宮と云う。 社殿の周囲の山中には国見岩、行者岩、めいめい岩など巨磐が点在しているが、 岩の割れ目に鎮座する岩戸神社が中核なのだろう。とは云え、点在する磐を全て が聖なる山を構成する細胞と考えて良さそうである。 |
上写真2枚;岩谷観音(岡崎市岩中町荒井)案内看板に曰く「天平年間(奈良時代)に行基菩薩が東国教化の際に聖ケ峰へ登ら れ、 この遺跡はきっとあらたかな聖者のおられたところであろうと、石上に座禅をくみ 一刀三拝して、御身二尺の聖観音菩薩の尊像を刻まれ、巌窟の内に安置されたと伝え られている。」 すなわち天平年間に行基が訪れた際には既に祭祀場が存在したこと になる。山頂には巨石が点在し、の添付写真の岩屋は頂上から5mほど低い山の斜面 に安座している。舟状の岩は、さらに2mほど下に存在している。自然にそこに 存在していたとは思いにくい、不思議な状態の磐だ。 |
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Last Updated 2020-10-25