撮影場所&日;滋賀県伊香郡高月町高野、平成20(2008)年3月2日
撮影機材;Nikon D300+VR18−200mm、D80+SIGMA10-20mm
現地情報;本日の午前6時頃より当屋で準備が始まり、社参は午前7時前後。事前に許可申請で撮影。
高野(滋賀県伊香郡高月町高野)のオコナイでは午前6時、当屋に町衆が集まり、御鏡餅と餅花(まい玉)を午前7時に高野大師堂に献鏡するのである。明治23年以前には先頭と後頭の二組であったが、その時に更に二組に分けて四組あったのため、御鏡餅も四つ献鏡されていた。が、一昨年に変更され、四組が二組づつ隔年で順番に行うようになった。よって現在は二つの御鏡餅が献じられる。献鏡行列は、小学生が鉦と太鼓で先導する。これをシャギリと呼んでいる。どのような漢字で書くか伺ったが、不明とのことであった。おそらく、邪切りが訛ったのであろう。献鏡行列に災いなす邪霊を祓いながら進むということと思う。これまで私が拝見したオコナイは、神社に献じる宮オコナイであったが、今回は薬師堂に献じる薬師オコナイである。ご本尊の前に左右に二つの御鏡餅が立て掛けてある。直径約80Cm、厚さ約15Cmの大きく美しい、文字通り鏡のような表面滑沢な御鏡餅であった。
これまで撮影した宮オコナイにはない護符が、今回の薬師オコナイでは拝見することができた。それは牛玉宝印である。牛王宝印(牛玉とも牛黄とも書く)は平安時代の末期頃に、寺院の護符として使用され始めた。護符の目的は、神仏に決意や誓約が正真正銘であることの証拠としての誓約書である。神仏に対しての場合は、信仰心に偽りがないことを誓約して、御加護を願うのである。牛玉というその名前は、牛の胆嚢から得られる牛黄(結石とも考えられる)が霊物として珍重された霊薬が、呪力のパワーアップをしていることに由来する名称と思われる。神使の烏をあしらった図柄で熊野牛王宝印が有名だが、実際は紙に書かれる文字や文様は統一しておらず、それぞれの寺社で異なるらしい。宮オコナイであれば神々の依代である御幣が御鏡餅の前に置かれるのであるが、今回は牛王宝印が置かれている。高野大師堂に護符を発する僧侶がいらっしゃらないので、浅井町の天台宗のお寺まで授与してもらいに行くという。厄除け、招福の護符であるが、チラリと種子が見られ、何らかの祈祷文が書かれているのであろう。
この牛玉宝印は、現地ではゴーとかゴーのバイとか呼ばれている。このこなれた呼び方は、オコナイが寺院中心の行事でなく民衆の中に溶け込んで、彼らによって運営されてきた証でもあろう。
薬師堂に献鏡された御鏡餅は、またお輿に乗せられて当屋に戻ってくる。来年の当屋さんへの当番の渡しの儀式である「トウワタシ」が終わると直径70Cmの御鏡餅は、各頭の構成員の数に開かれる。今回、当屋に下げられた御鏡餅開きまで撮影したのであるが、このオコナイという行事の大切な点は、村人によって一つの御鏡餅が開かれて配分されるという点だと思えてきた。神仏に御鏡餅をお供えして祈願祈祷をする献鏡も大事であろう。なれど、実質的には一つの御鏡餅を分割して食するということが、村人の団結・結束を再確認する行為ということで重要なのであろう。神仏の御加護のある御鏡餅を共に食すことによって、個人だけでなく村落全体に一体感が生まれるのである。
《参考文献》
【伊香のおこない】高橋勇 編集、鶏足会
【神々の酒肴 湖国の神饌】中島誠一、宇野日出生、思文閣出版
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