日本!(近江の祭・火祭)
No.21 馬淵郷の祭り(馬淵の松明)近江八幡市〜 其の一
撮影場所&日;滋賀県近江八幡市、平成22(2010)年5月1日

5月1日朝から2日朝にかけて、滋賀県近江八幡市の馬淵郷の祭礼の撮影を行ってきた。

さて馬淵の郷祭りは、最近の拙HPにおいて近江の祭礼をUPしてキャプションにも書いているような、灌漑農業用水に関連した郷の秩序再認識の祭りである。むろん、それはバックボーンにあるだけで、用水の要素が現れるのは、一部においてでしかない。
順に私が感じた特徴を記してみる。
仝什澆惑亙ザ燭稜亙ァ僻幡神社が鎮守社)、千僧供(椿神社が鎮守社)そして岩倉(諏訪神社が鎮守社)の三集落によって行われているが、そこに内座、外座という組織が存在している。集落、あるいは家筋によっても外座は決まるようで、集落をまたいで存在する外座もある。添付写真の裃姿のオトナは、外座によって座る場所が決まっている。拝殿から見て右から田楽・神宮・氏・幣・神部・神の各村である。
⇒竸紊鯀杁できるのは、2日の早朝に馬見岡神社での祭礼後に千僧供の椿神社へ御輿が還御するが、その後に境内にオトナが入るとき、四脚門を潜って入る前に「明神石」と呼ばれる石が埋め込んであり、その幅が用水路の幅の割合になっているという。馬淵・千僧供が四分、岩倉が二分で、「四分四分二分」である。水源は明神の井(ユ)、金田の井(ユ)で岩倉に在るが、上流の方が幅が狭い。
F麁早朝の卯の刻渡りでは、直径1.5mくらいの紙垂が沢山付いた円形の“日鉾”が出て、馬見岡神社、椿神社でオトナ達が竹の幣杖で叩いて囃す。日鉾というからには、太陽を表すのであろう。三重県鳥羽市神島のゲーター祭を想起するような様子である。では何故、太陽を叩くかというと、元は太陽というより在泊方位最吉方で、八将神中筆頭の吉神が木星の神霊化した太歳で、それの剋殺する金気が日輪として考えられた。日輪を叩くとは、金気である太陽を叩くことで吉の木気の流入が増えるということらしい。これは陰陽道に関連した考えだが、吉野裕子氏の著書『山の神』を参考にしてみた。
で亙イ砲蓮嵋版桂棔廚箸いΣ閥擇あり、その家筋だけで“ゴメンソウサマ(御面相様)”と呼ばれる面を三面伝えている。この鉾之本では順番に一年ごとにゴメンソウサマを家で守っていく。室町時代の面であるが、近江猿楽六座の影響が考えられる。境内においてオトナが狂言(面白い話)を披露するが、これは猿楽・狂言の名残かもしれない。
ヅ塞媼命燭砲△襪茲Δ法馬見岡神社拝殿に安座された御神輿の前で、本殿に向かって僧侶が般若心経などを読経する。神仏習合である。
Χ畊照幡市の大祭・小祭にみられる大太鼓(御輿型)が七基出る。馬見岡神社社守が手松明で、本松明に点火して本松明が奉火される。
 銑イ惑亙ザ榛廚蠧値であるが、 Δ篭畊照幡市に広く見られる火祭の形である。

祭りは5月1日から4日まで続く。3、4日は火祭りが中心となる。私は2日まで撮影して帰宅した。
郷の宮座の祭りの様式を強く残していると思われる、この祭礼。内容が豊富で、驚きと感動の連続であった。オトナ(長老)たちは裃姿で、威厳がある。簡略化される祭りが多い中で、これほど大勢の裃姿の人達が揃うのは、壮観であった。
■馬淵郷の皆様には、たいへんお世話になりまして ありがとうございました。

上左右写真;馬淵の鉾之本における、ゴメンソウサマ(御面相様)。社参行列にも同行する。

上左右写真;馬淵の氏神社である八幡神社にて、狂言と日鉾をいさめる。

上左右写真;岩倉の氏神社である諏訪神社を出立する社参行列。御神輿や板御幣も見受けられる。

上写真3枚;三集落の郷社である馬見岡神社で、17時からオトナ衆が集まって、シュウシ。神人共食で、御供を戴く。

上写真;拝殿での祭典で、巫女による鈴之舞。

上写真2枚;神前での般若心経などの読経が済んで、拝殿に向かって拝する冷泉寺住職。神仏習合が残る、エキサイティングなシーンだ。

上写真3枚;馬見岡神社宵宮。太鼓御輿が境内に練り入ると、松明に奉火である。松明は、大松明が一基である。

其の二 に続く・・・


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Last Updated  2010-05-21