日本!(近江の祭・火祭)
No.55 昔話 機
■ 三島池の はたの音(米原市池下)

写真の池は三島池で、別名「 比夜叉池 」とも云う溜池である。
この池にまつわる、生贄(人身御供)奇譚がある。

溜池の北端には 都久夫須麻神社が鎮座し、西岸には三島神社が鎮座している。 三島神社の境内入り口に、「比夜叉池」の謂れが書かれた石碑が有った。 それによると、、、

〜 昔 この池に水が溜まらず これを占ってみると、一女を池中に生き埋めにして 水神を祭れば 満水になるという。 そこで佐々木秀義の乳母で比夜叉御前という 女が 生きながら池底に入り 機織り機とともに埋まると 忽ち水が溢れ出た。   その後 常に満水で いかなる旱天にも涸れたことがない。 そこで 比夜叉を水神 として崇めている。  今でも深夜水底で機の音が聞こえることがあるという 〜

説明石碑に出てくる 佐々木秀義は、平安時代末期に この地を治めていた武士であ る。 源頼朝の伊豆挙兵に功があったが、平家残党との戦で元暦元年(1184)に没してい る。 神社の三島神社の御祭神は大山祇命であるが、静岡県三島市の三島神社と御祭神が一 緒 である。源頼朝ー佐々木秀義ラインで勧請されたのであろう。 実際に佐々木秀義がこの溜池を造らせたかは判らないが、ともあれ 1200年代には 出来上がっていたという。

この奇譚、機織り機を持って生贄になった、という点にひかかる。 天衣織女命(天棚機姫神)が織ったという神衣和衣に引っかけた話なのか、、。 例えば伊勢神宮における風雨和順を祈る 風日祈祭 では 8月に 白絹と麻糸の 垂れた榊が捧げられるが、ともに織物に用いる。風雨和順を祈る祭具に通じる 道具をもって生贄になったということか? 余談だが、、、池の水が溜まっていなかったのに池に身を沈めるとは、 比夜叉御前は苦しかっただろう(涙)。


■ 野田沼、蛇の壺の雨乞い(長浜市湖北東尾上町)

滋賀県長浜市湖北東尾上町に、野田という沼が有る。 琵琶湖から100mほど東の方に入った場所で、湖と沼の間には さざなみ街道(湖周道路)が通っている。 元々は琵琶湖の一部だったのか、独立した沼だったのかは分からない。 琵琶湖の湖岸というものは現在では多くが護岸工事によって原初の風景を失って いるが、野田沼は逆に雑草や水草に覆われて、沼のほとりに近寄れる場所は限られて いた。
添付写真のように、沼の背後には山が有る。山本山である。でも海苔もお茶も名産で はない。

異類婚姻譚は、この山本山と野田沼の間で始まる。 〜 山本山には昔、城が有って若殿が居た。この若殿に惚れた野田沼の大蛇は 姫の姿になり、2人は結婚する。やがて懐妊するが、出産にあたって姫は若殿に 出産の部屋を覗かないように頼んで、部屋に籠る。 我が子を待ちきれない若殿は、姫の頼みを裏切り、部屋を覗いてしまった。 するとそこには子蛇を抱いた大蛇の姿が、、、。姫は、正体を見られたからには もう居られない、と野田沼に戻って行ってしまう。(いわゆる「見るなの禁止」であ る) 去る姫(大蛇)は、「これまで共に暮らした報恩に 旱魃時には山本山に篝火を焚い て 沼に灯を映したら 雨を降らせましょう」と言い残した。〜

以降、旱魃になると山本山山頂で篝火を焚く儀式を行うと、必ず雨が降ったという。 姫が大蛇とはつまり龍、すなわち水神の化身であったのだ。


■ 姉と妹 ( 姉川 と 草野川 )

上写真;長浜市岡谷での 妹川(草野川)の流れ。
下写真;長浜市宮部町おにおける 姉と妹の合流地点。右が姉川で、左が妹川である。

伊吹山麓に発し、米原市や長浜市を流れて琵琶湖に流れ込む、姉川という河川がある。 河川の名前の命名はどのような根拠によるか浅学ゆえに記載できないが、主に源流 地域の地名などが多いように思う。しかし米原市にも長浜市にも、姉 という地名は 無い。 しかし 姉 が居るなら、妹も居るのか?と思ってしまう。 結論から書くなら、妹も居たのである。妹川 である。しかし現在は 草野川 という 名前が付いている。これは妹川という名前から変わったのか、妹川という名前が昔話の中 の 存在か不明である。妹に対して、姉だけが 姉川という名前で残った理由も不明であ る。 妹川の存在は、昔話の中に存在する、、、

〜 昔、湖北に毎日雨が激しく降り続いていた。伊吹山麓に住む姉妹は、伊吹山山麓 にある池が決壊することを恐れていた。もし決壊したら、湖北平野の人々に甚大な被害が出 るからである。姉妹の両親は早くに死に、村人に助けられて成長した。村人のことを思い、 姉妹は伊吹山中腹の池にずぶ濡れになりながら歩いて行くと、池の龍神に身を捧げる 代わりに村人を助けてくれるように祈願し、池に身を投げた。するとどうだろう。 姉妹は二匹の龍となり、村の田畑を避けるように二筋の川を成しながら山を下り、池の決壊を未然に防いだ。やがて琵琶湖ほとりまで下ると姉妹の龍は手をとり合い、琵琶湖に姿を消した 〜


■ 女性が淵 (長浜市中野町)

滋賀県長浜市中野の専宗寺の脇には、「世々聞長者流水遺功碑」が立っている。  「せせらぎ長者」については幾つか奇譚が有るが、ここでは写真の女性が淵 (みせがふち)に関連した奇譚を記す。

〜 引いた用水路に水が流れて来ないので せせらぎ長者が落胆していると、 村の松前姫という娘を生贄にせよ、 というお告げが聞こえた。娘を生贄にすることは拒んだが、その話を伝え聞いた 松前姫は、自らの命を絶つ。その時から用水は中野の方に流れるようになった。  その後、せせらぎ長者は桃酢谷の泉の近くに、いつからか分からないうちに住む ようになった虎御前という娘と結婚する。住人の間で虎御前は 死んだ松前姫の 生まれ変わり、という噂が出る。 やがて虎御前は子を産むが、産んだ子は全て蛇(龍の変容だろう)であった。 嘆いた虎御前は、淵に身を投げて自ら命を絶つ。〜 女性が淵は昔は長尾山と呼ばれた山の麓にある。後の人が、その姫を称えて 虎御前山と云った。


■ 雨乞い自刃 前田俊蔵 (長浜市高月町高月)

樹高30m、幹周囲3m の ムクの樹。
工場の立ち並ぶ中に、ここだけ巨木がそびえ立っている。巨木には注連縄と紙垂も見 える。 ここは滋賀県長浜市高月町高月の 野神塚 である。 野神様は田の中に有ったのだろうが、いつの間にか田が潰されて工場に変わり、野神 塚だけ が残されたのである。 この野神塚は、旱魃被害からこの地を救った前田俊蔵という男の、自刃の地でもあ る。

〜 夜叉が池という、決して涸れることの無いことから、雨乞いの聖地として崇めら れていた池が有る。現在地で云うと岐阜県と福井県の県境で、今でも車では行けない山間 部に有る。登山届を出して、駐車場から2時間の登攀だという。 駐車場までは 長浜市高月町方面からだと、川合ー金居原ー八草峠ー川上村 などを 通って行くことになる。そのように現代でも大変な道のりだが、その前田俊蔵という男は 明治16(1883)年8月、旱魃から郷土を救うため夜叉が池の龍神に雨乞いの願掛け に向かった。

夜叉が池に到達すると、3日間 雨乞いの黙祷を行った。 そして、、、下山するやいなや、大雨となり 涸れていた苗も蘇ったという。 しかし同年8月23日、彼は添付写真の 野神塚で 自刃 した。 虫の息の彼に警官が尋ねると、降雨の場合 自分の命を捧げると 龍神に約束したのだ という。〜

自分の命と引き換えに、村を救ったのだ。なんとも切ない自己犠牲である。


■ 豊嶋池の御霊信仰 (長浜市加田東)

水田に用いる水に苦労した湖北。
溜池は旱魃時の非常用に備蓄する、大切な水である。 溜池にも、いろんな逸話、奇譚がある。例えば、水の所有権を巡っての殺傷事件、 生贄・人身御供の奇譚など。  上写真は 長浜市加田東町にある、神田溜。別名、豊嶋池というが、この池の奇譚は 祟りの奇譚である。この豊嶋という別名は、関ケ原合戦後にこの地に代官として赴任 した 豊嶋作右衛門忠次によって造られたため、その苗字を拝しているのだ。 ただ、豊嶋は上司の怒りに触れて左遷されることとなったが、罪人を見送ることで咎 が降りかかることを恐れた村人は、彼を見送ることがなかった。そこで村を離れる時 に、池まで造った恩義を忘れるとは、と嘆いたという。
その後、村には数々の災禍が降りかかったため、村人は豊嶋作右衛門忠次の怨霊の祟 りと恐れたという。今では氏を祭神とする豊嶋神社が池のほとりに有る。いつ祭神と祀り 上げられたか分からないが、つまり怨霊を神として祀って怒りを鎮める、御霊信仰である。 水争いの殺傷事件、生贄、怨霊、、、湖北の溜池のエピソードは、広く深い。。。


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Last Updated  2019-07-08