■ 長者の娘(竹生島) 長浜市早崎町
琵琶湖が荒れに荒れ、漁船は転覆するやら座礁するやらで、死者が出るやら積荷は湖の藻屑となるやらで、
働き手や生業を失った湖辺の民の嘆きは深いものであった。村人は相談の上、竹生島の明神様に救いを求めた。すると託宣によると、 「島の東南の淵に棲む龍神様の祟りゆえ、村一番の娘を生贄に出せ」 とのことだった。村一番の娘と云えば長者の娘であったが、当然ながら長者は娘を差し出すことを拒否した。 しかし湖水の荒れは益々酷くなる一方で、託宣の事を村人の噂で伝え聞いた長者の娘は、家人の寝ている隙に 一人 竹生島を目指して舟を漕ぎ出した。龍神様の棲む淵に着くと 「私の命を捧げます。その代わりに湖を鎮めて下さい。」 と祈って、琵琶湖に身を投げた。すると 荒れていた湖が静まり、村人にも平穏が戻ったという。 (写真は2019年07月撮影の、竹生島遠景。) |
■ ひともっこ山(田村山) 長浜市加田町
神々が集まっている時に、水の神が 近江の真ん中に湖を作ろう、という提案をした。すると山の神は、
湖を作るのに掘った土で駿河に山を作ろう、と提案した。 やがて夜、月の神が照らす中で神々は
湖と山の作成にとりかかった。 湖となる凹みはどんどん掘られ、出た土は駿河にどんどん積まれていった。しかしあと一もっこ運ぶと駿河の山も完成という時、太陽の神が顔を出した。工事をしていた神々は 慌てて 土の入ったもっこをひっくり返して、西の方に隠れてしまった。 その最後の一もっこの土で出来たのが、田村山である。富士山の頂上が平らなのは、最後の一もっこの 土が乗せられなかったからである。 富士山と琵琶湖、そして田村山に関連が有るとは、昔話って本当に楽しい。 (写真は 2019年07月撮影の、田村山。) |
■ ひとばしら (井明神)長浜市高月町尾山、井口
戦国時代、現在の長浜市高月町や木之本町周辺の水利を支配していたのは 井口弾正であった。
しかし高時川の餅の井の取水口付近に大穴が開き、水はその穴に吸い込まれてしまう。塞いでも
塞いでも水は吸い込まれ、やがて田は空からになってしまった。その頃、村の大庄屋孫兵衛は、託宣ともいう夢を見て、弾正の屋敷に出向いた。 「岩滝明神が夢枕に立ち申すには、妙齢の娘を人身御供にすれば、水は流れる」のだという。 この話を隣の部屋にいた弾正の三人の娘の一人が 誰にも言わないで屋敷を抜け出し、 開いた大穴に岩滝明神に身を捧げる生贄となって身を投げた。 すると山から大岩が転がって きて穴が閉じ、用水路の方にも水が流れるようになった。庄屋や村人が水が流れたことで慌てて 大穴に来てみると、穴を塞いだ大岩の上に娘の櫛を笄が置かれていた。 殿様の娘が生贄となり 村人を救った、という奇譚である。 添付写真は、餅の井、つまり現在の 高時川頭首工近くの井明神。この祠は元宮で、現在の本宮は 長浜市高月町井口の日吉神社境内に鎮座している。 (写真は2019年07月撮影の、井明神。) |
■ 白蛇、白鰻 雨乞い (和泉神社)長浜市小谷上山田
「雨の全く降らない時期が続いたので、村人が手水舎で雨乞いの札を投げ入れた。すると白いウナギが 泉の底から現れて、その御札を加えて潜っていった。するとたちまち雨が降った。」 という。 このウナギは蛇の化身なのかもしれないが、神社には白蛇も棲むという。 参拝に訪れた日、田を潤すための民の願いが通じているのか、雨がシトシトと降る暗い境内は、 霊異が満ちているような神聖さを感じた。 なお、本殿の背後の山には、蛇ノ穴 と呼ばれる鍾乳洞が有るらしいが、雑草に覆われて道が分からなかった。 本当に蛇や藪蚊の出没時期なので、無理しなかった。時季を改めて探訪してみたい。 (写真は2019年07月撮影の、手水舎と本殿石垣。) |
■ 雨乞いの池 (坂田神明宮) 米原市宇賀野
宇賀野の坂田神明宮には、「天の真名井」という、雨乞いに霊験のある泉がある。宇賀野や飯などは伊吹山や霊仙山からの伏流水の湧水の多い土地であり、水が地面から 湧き出るという神秘性からか、雨乞いの場所となっていた。この「天の真名井」は日照りの時に 泉をかき出すと雨が降るという云い伝えがある。 坂田神明宮の本殿横の木立に囲まれて井は有り、静かに水を湛えていた。 (2019年07月撮影の、真名井。) |
■ 玉倉部 居醒の清水、倭建命 / 日本武尊
上写真は 滋賀県米原市醒井の「居醒の清水」で、下写真は 岐阜県不破郡関ケ原町の「居醒の清水」である。 (2019年5、6月 撮影) |
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倭建命(日本武尊)は伊吹山の荒ぶる山の神に大氷雨という毒気にやられ、打ち負かされ
正気を失った。そして玉倉部の清水に辿り着き、その水を飲むことで意識が回復した。
ゆえにその清水を「居醒の清水」という。 古事記と日本書紀に書かれたこの「居醒の清水」であると名乗る所が、二ヶ所有るのだ。 米原市醒井は、もろに「醒める井(水)」という地名を名乗っており、加茂神社境内の 湧水がそれだということで、倭建命の立像まで有る。 岐阜県の関ケ原の方は、町史跡にまで指定された湧水で、「玉倉部の清水(日本武尊居醒清水)」 の看板が立っている。 米原市醒井の方は霊仙山系からの伏流水の湧水で、関ケ原町の方は伊吹山からの伏流水である。 さて、どちらが本物の「玉倉部」であろうか? どちらも違う? 元々が創作だから実在しない? 『日本書紀』巻第七 景行天皇 ↓(該当箇所) 至膽吹山、山サ~、化大蛇當道。爰日本武尊、不知主サ~化蛇之謂「是大蛇必荒サ~之使也。既得殺主サ~、其使者豈足求乎。」因跨蛇猶行。時山サ~之興雲零氷、峯霧谷?、無 復可行之路、乃捷遑不知其所跋渉。然凌霧?行、方僅得出、猶失意如醉。因居山下之泉側、乃飲其水而醒之、故號其泉、曰居醒泉也。日本武尊於是、始有痛身、然稍起 之、還於尾張。 |
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Last Updated 2019-07-22