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■鍋冠祭(筑摩の鍋冠りまつり) 撮影場所&日;滋賀県米原市磯 筑摩神社、平成20(2008)年5月3日 7、8歳の少女が鍋を頭にかぶって参列する祭礼が、「筑摩の鍋冠り祭」(筑摩神社)である。 【伊勢物語】においても、「近江なる筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見む」と詠われ、平安京の貴族においても知られていたようだから、古い祭である。【筑摩大神之記(永禄四年)】には、「鍋冠は十五歳未満の少女をもってこれを役とす 若しその中に不貞の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」とあり、婦女の貞操を重んじる祭と云われている。しかし筑摩神社の御祭神が御食津大神、宇迦乃御魂神、大歳神であることから、食物を掌る神様の祭礼といも云われる。【筑摩神社由緒略記】においては、「桓武天皇の御宇此の地を以って大膳職御厨所之御料と定む」ともあるように、また、この地が宮中の食物を掌る機関があったため、食物だけでなく土鍋などを贖物としたことが原初の姿とも云われる。このように鍋をかぶって社参する理由には諸説ある。ただ、女性の貞操を重んじるように解釈されたのは、不貞あれば鍋が落ちて割れるとは、神に仕える資格を質す御ト(みうら)のような行為から発したのかもしれない。鍋はナエ(新嘗のナメ)が転訛して、それをかぶるようになったとも云われる。滋賀県には何箇所かで、頭上にご神饌を載せて供餞する事例がある。このページに同時にUPした大津市の「御膳持ち」もそうである。このようにご神饌の頭上運搬が変形した祭となったとも考えられよう。なお社参行列は鍋冠の外に、鉾持ち・母衣・奴・曳山などが出る。 《参考文献》 池田弥三郎【性の民俗誌】講談社学術文庫 |
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| 上左右写真; 狩衣姿に張り子の鍋姿の少女たち。 | |
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■御膳持ち 撮影場所&日;滋賀県大津市山中町 樹下神社、平成20(2008)年5月11日 (※)山中町は56戸住人150人の集落です。「御膳持ち」は観光客やアマ・カメラマンが来る祭ではなく、外来者が居ると直ぐ分かるような集落内の静かで厳かな祭礼です。ゆえに事前に右京(宮守)さんに訪問等の許可を得て、撮影したことを御了解下さい。 樹下神社例祭本日において、未婚女性が右京の家(宮守さん宅)から樹下神社まで、夕御饌(ゆうべのみけ)を満載した槽(フネ:110X70�僉砲鯑�上に載せて献饌に社参するのである。写真にあるように現在は巫女装束で社参するが、以前は和服で、そのまた、昔には嫁入り衣装で社参していたらしい。やはりこの事実は大いに気になった。樹下神社の御祭神は鴨多多須玉依姫である。女神のもとに嫁入り衣装とは変である。昨日は行われなかったが、宮守さんのお宅で拝見させて頂いた書籍(※)には、神饌を運んだ女性が神様の代理としての宮司さんと三々九度を上げる写真が掲載されていた。益々もって変で、現在の御祭神は少なくとも明治維新の頃に改変された可能性があるだろう。はたして改変される前の御祭神は、、、少なくとも男神であった可能性の方が高い。そこでまた疑問が出る。もし男神の一夜妻ならば以前から巫女装束でも良かっただろうし、あるいは五節舞のような舞姫姿でもよかったであろう。未婚女性が神様と結婚という聖婚をすることは、宮座のような組織において在る一定期間、神様に仕える資格を得る儀礼だったのかもしれない。婚礼衣装で献餞し、一夜明けた後にようやく巫女のような存在になるというような、、、。そもそも山中町のような山間において産土神様とは、俗に言う山ノ神だったのだろうか。山ノ神は野ノ神でもあって、その神様が女神と考えるのは野に住まう者の発想だろう。実際に山に住まう者にとって、山ノ神とは男神としても、どのような聖性があったのか。荒ぶる山ノ神の鎮魂のため、未婚女性が一夜妻となったのか、、。宮守さんともお話させて頂いたが、現在の山中町は林業だけでなく農業もされているとのこと。ましてや狩猟生活は無い。山間にあっても野と変わらぬ農耕的発想状態にあり、ゆえにこの祭礼原初の発想を探ろうというのは無理のようであった。 いろいろと考えさせてくれる祭礼で、興味深かった。 《参考文献》 (※)岩井宏美編【神饌 神と人との饗宴】同朋社 |
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上左写真;
槽(フネ)に並んだご神饌。御神酒、赤飯、豆腐、若布、かますの開き。 上右写真; 直会で、とんがりさん(赤飯)。 | |
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| 上写真4枚; 御供持ち(ごくもち)という未婚女性が御神饌の槽(フネ)を頭上に載せて、右京の家(宮守宅)から神社へ。祭典後に戻る。槽(フネ)は御神饌が載ると15〜17Kgにもなる。頭屋さんが手を添えているように見えるが、バランスを修正しているだけで力は入れていない。槽(フネ)は天保八年(1837)製である。 | |
提灯の灯りだけの中で、巫女さんによる神楽奉奏。頭屋、宮座の人たちが取り囲んでいる。現在、御供持ちの女性は写真のように巫女装束だが、これは最近に変えられたものである。以前は和服、そのまた昔は婚礼衣装であった。 この歴史的なことから判るように、現在も神楽は御供持ちの巫女装束の女性が舞うのではなく、別に巫女さんが社参行列に参列されて神社で舞われるのである。 御供持ちの女性が昔は婚礼衣装であったことが現在のように巫女装束に変えられてしまったということは、外見だけでなく祭礼の深い意味合いも変わってしまったと思う。 |
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Last Updated 2010-01-01