平成最後となる03月10日の「SL北びわこ号」は、本来なら昨年07月に登場予定だったD51型蒸気機関車が初めて牽引した。 平成07(1995)年から昨年(平成30;2018年)まで23年間走った C56型に代り走行予定だった D51 は、昨年初夏の西日本豪雨の線路被害によって広島以西に取り残されてしまった。そのため2018年初夏以降は予定されていた D51ではなく、C57 が運転を受け持っていたのだ。 尚、03月10日から暫く運転が無く、次は新元号になってからの運転で、9月08から22日の毎日曜日。そして10月13日から11月10日までの毎日曜日の運転が予定されている。 |
![]() ![]() 慶雲館では01月10日から03月10日までの間、「長浜盆梅展」が開催されていた。 期間中300本の盆梅の中から開花時期に応じて、常時90本を純和風の座敷に展示する。 なお会場となる慶雲館は明治天皇昭憲皇太后の行幸啓のために建てられた、迎賓館で ある。慶雲館 の名前は、初代総理大臣の伊藤博文が命名されたという。 上写真の撮影時、思いがけないことが起きた。館内から 秀吉クンと三成クンの両ゆ るキャラが登場し、 線路端に立ったのだ。ゆるキャラ君も、小さく写真に美味しく収めさせて頂いた。 |
![]() 豊国神社は御祭神が豊臣秀吉で、没後3周忌の慶長五年(1600)に遺徳を偲んで建て られた。 秀吉は天正元年から天正四年(1573〜1576)の間、長浜城主であったのだ。関ケ原の 合戦の 頃に建立されたとは、時勢の流れへの反感と半官びいきもあったのかもしれない。徳 川時代に 秀吉を祀ることは禁じられていたから、恵比寿神社の奥社で密かに祀られていたとい う。 まるで隠れキリシタンのような時代があったのだ。現在の「豊国神社」が復活したの は、 秀吉300回忌の明治31(1898)年のことだという。 この辺りから黒壁前の大手門通りを経て大通寺前の御坊表参道辺りは、長浜でも観光 客の 多いところである。拙者も、この辺りの散策が大好きである。 |
![]() ![]() 上写真の上;水底に竜宮のある瀬田川を渡る。 上写真の下;妖怪ムカデの棲んでいた 三上山を背景に野洲川を渡る。 瀬田川、特に瀬田の唐橋の水底には琵琶湖を守る大蛇(竜)が棲むという。 ある時、この大蛇が唐橋に横たわっていたので人は怖れて橋を渡らなかったが、藤原 藤太秀郷は怖れず大蛇を跨いで渡った。 渡り終えると翁が現れ、三上山のムカデが琵琶湖を荒らして民が困っているから、退 治して欲しい と云う。ムカデは三上山を7周り半も巻き付いた巨大な怪物だ。しかし恐れず秀郷は ムカデと戦い、これを退治した。 退治を頼んだ翁は、琵琶湖の底の竜宮の主であったのだ。退治のお礼に竜宮に招待さ れた秀郷は、竜王から種々の贈り物 を貰う。その中に中身の尽きることのない俵が有り、秀郷は 俵藤太秀郷と呼ばれる ようになった。 琵琶湖の湖畔の民と山の民の勢力争いを比喩した昔話である。 |
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![]() ![]() 交替曳山のうち、写真は鳳凰山である。午後01時の出立に向けて準備が午前中から行 われていた。 |
![]() Google Earth で標高をチェックすると、琵琶湖は84mで西の湖は87m、そして写真 の辺りは81〜82mと、 湖より低い土地である。 |
![]() 上写真は田村の近くの深町川の河口堰である。琵琶湖の水の逆水を防ぐための堰で、 その背後を D51 がバック運転で回送されて行った。 |
![]() ![]() 11月10日の撮影。これをもって2019年度の運転が全て終了した。 |
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Last Updated 2019-11-12