〜舞!組曲 掲示板〜 |
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トリスタン 楽しめるといいですね。
また、お能に、えっ ベビメタさんも行くんですか。この幅の広さが、管理人さんの魅力ですね。(^^)
で、たまごっちは知らないです。ドラクエ世代ですけど〜
まあ、ポケモンは、ゲームというより、ワタシにとっては、万歩計みたいなモノでしゅよ。アハハ・・・(^_^;)
ブログでの書き方わるくってスイマセン。
公演は3つです。
今日の ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、
明日の昼の 能楽、夜の BABYMETAL です。
あと2つは帰ってブログにて。
まままさん、孵化させるゲームだと、タマゴっち
を思い出します。ポケモンもタマゴっち も
やったことありませんが。ゲーム、苦手なんです(汗)。
操作も、それと何やっているか分からないんです。
ワタシは、地元でポケモンgoでもして、遊んでますわ。(^_^;)
夏やせできなかったツケが、貯まってしまって。
その対応策の1つです。
でも、モンスターの卵を孵化させるのに、2km、5km、10km 歩かなければならず、どのコースを選ぼうかと、途方に暮れている始末。
これじゃー アカンね。(^^)
>夏越しの祓えで、茅の輪が輪3個横並びになっていたんです。
大神神社さんの夏越の祓 を参拝したことはまだありません。ぜひ参拝してみたいです。
ご周知のように 茅の輪の三つ並びは、三輪(3輪)さんにちなんでますね。
拝殿奥の三輪山をお祀りする鳥居も、大鳥居の左右に一基づつの鳥居を配して
3つ横並びの、いわゆる“三輪鳥居”という形式で 珍しいです。
三輪山麓の檜原神社さんの鳥居も三輪鳥居で3つ並びのようですが、
こちらのお社は参拝致したことがありませんので、同じく参拝させて頂きたいです。
ブログに書きましたが、映画『トリスタンとイゾルデ』、いいですよ〜。
ウチの家では、お正月は大神神社に参拝するのが、しきたり〜なんで、身近な神さまなのですが、なかなか年中行事にはお邪魔することができません。
以前、夏越しの祓えで、茅の輪が輪3個横並びになっていたんです。
これも珍しいと思うんですけど。是非、6月末日にもお越しください。(^^)
>年中行事に行けません。
いつが満月か、神社さんの行事日程で知ります。満月直近の土曜日に行われる
神社さんもありますが、律儀に満月の日にピッタリされるお社さんが多いですね。
土日に満月がくるってなかなかないですね。大神神社さんの観月祭、行きたいな〜。
もう10年近く奉拝してません。
また、台風は秋雨前線停滞中で、またまた、週末以降に急カーブを描いて本州直的、横断コースか・・・って感じでやってきます。
せっかく涼しげな秋なのに、佳いお天気に恵まれたいものですね。
https://www.dfb.ch/index.php?id=erleben&L=0
↑
フルカですが、ここは雪山と一緒に撮影できたら最高でしょうね。
ただアルプスは山が見えるかは運ですから、限られた日程では賭けですね。
>今日は、ジオラマ用の、LEDやストラクチャーの部品仕入れに、東京です。
“夢の鉄路”が仕上がっていくのでしょうね。鉄道模型の魅力は作り上げる
ところだと想像しています。私は今でも「撮り鉄(限られた蒸気機関車だけ)」だけです。
スイス、アンデルマットからインターラーケンに移動する途中で、確かフルカ峠で蒸気機関車を見た覚えがありますので、フルカの方だったと思います。
欧州に、保存された蒸気機関車を見に行く機会が、作れたらいいなあ、と思います。 カナダの時のように、サイトに確認して、、、(^ ^)
今日は、ジオラマ用の、LEDやストラクチャーの部品仕入れに、東京です。
では、失礼します。
>大脱走とレマゲン鉄橋に出てきた蒸気機関車を ほ〜 と眺めた程度です。 あれは ドイツの機関車だったのでしょうか_?
その2本の映画が未見なので、よく分かりません。で 調べてみたら レマゲン鉄橋
はチェコとオーストリアで撮影されたようなので、ドイツのカマで無かった
かもしれません。
>スイスを旅して 偶然 予期せず 谷底を走る アプト式とおぼしき蒸気機関車を見て
フルカ保存鉄道かブリエンツロットホルン鉄道が蒸気機関車のアプト式を
使っているので、どちらかだったかもしれませんね。ただ運転頻度から遭遇
し易いのは後者ですが。
>欧州は かなり蒸気機関車を観光運転しているのですか?
保存運転はイギリスとドイツが特に盛んです。ドイツは東西の壁が崩れた
時点でも東ドイツ域内で現役で蒸気機関車を使っていた路線を引き継いでいるので、
未だにディーゼル機関車が入線したことがなく 100%蒸気機関車だけで運転
している(ナロー)路線もあります。
各地の保存団体が蒸気機関車を所有していて時々運転する線区はあちこちに
有ります。運転が突然決まったりキャンセルされたりすることもあるので、
なかなか状況把握が厄介です。保存団体の HP をチェックして情報入手
するしかありません。
>ディナーショーお写真拝見してきました。
御笑覧どうもです。
真野恵里菜ちゃんと一番最初に2ショット写真を撮ってもらったのが、もう6年前。
その時は思わなかったですが、以来 時々写してもらっている写真を見ると
変化が分かります。
真野ちゃんの辿ってきた足跡も思い返す、良い写真です、、むろん個人的ににね(汗)。
>鉄をも貫くファンですね。ひぇ〜
「鉄ちゃん」ですから(笑)。
花の神楽は、梅・藤・菊の三種です。次は梅を狙ってます。
黄桜「呑」のCM、まままさんが仰るように30秒バージョンも有るとの噂です。
15秒バージョンも巧く完結してるのですが、どんな内容か30秒バージョンを
早く観てみたいです。昨夜、CMを初めてTVで観ました(ブログにUP)。
おおっ やっぱ城南宮にお越しだったんですね。
で、黄桜「呑」 違うバージョン発表、ありますよ。きっと。
こっちも楽しみですね。(^^)
>少数派の親分 立場を知り 自分の力ではとうてい治まらない事も知っていた様に感じてます。
御説、そう思います。楠木正成が特に注目を集めたのは幕末の尊王思想の頃以降からで、
特に太平洋戦争前には神格化されてました。ですが足利に対抗できる武士
集団では無かったです。明治以降に南朝に重きを置く史観の中で、天皇に
近かった存在として、全てを賭けて全て失った楠木正成は美化し易かったのでしょう。
同じ南朝でも、むしろ悲劇の武将は新田義貞だと思います。義貞公は尊氏
より源氏の嫡流に近い血筋ながら、辛酸を鎌倉幕府時代から舐めてきてました。
尊氏が官位を持ちながら義貞公は無官。 武士団は損得勘定で動きますが、
義貞公には勝っても恩賞を与える権限は自分に無く、後醍醐天皇は抽象論を
振りかざすだけですしね。かといって後醍醐天皇側の武士筆頭をまかされても
しがらみに囚われて自由に動けません。楠木正成は武家集団から外れた
アウトサイダーですから、暴れることはできても治める力の不足を内心
抱いていたのでしょう。ですから Mr.Yang さんの御説に納得です。
義貞公は敗戦の責の生贄にされて、気の毒です。
家康と三成は 20倍以上石高の差 親子ぐらい年齢差 経験の違い 役職 徳川二十四将 に対して 三成の家来で名前を知っているのは 島左近 蒲生郷舎 舞兵庫くらい 人材の層の厚さ まるで同列に並ぶものではないと感じます。 お説の通りと思います。
>巫女さんが菊を持って舞うというのは
明々後日、9月9日は 重陽の節句 ですね。
この日には菊を酒に浮かべて飲むと 不老長寿に菊、じゃない、、効く そうです(汗)。
菊を浮かべる酒は、もちろん 黄桜「呑」 に決まりですね(笑)。
酒は飲めないのですが、菊を浮かべた酒を舐めるのも、オツでしょうか。
写真はお察しの通り、城南宮さんです。
巫女さんが菊を持って舞うというのは、ん?
城南宮なのでしょうか。
>のぼうの城では あれま・・・という感じもありますが
歴史を振り返る中で、西軍の石田三成 VS 東軍の徳川家康 という均等な対立構図を
考えてしまいますが、実際の当時の力関係の実情では 三成は家康の足元にも及ばないような
対立構図だったのでしょうね。幕入りしたばかりの力士 VS 横綱昇進が近い大関、みたいな。
歴史って、対等な抗争のように思いがちですが、同じような構図では
足利尊氏 VS 楠木正成 も同じようなモノでしょう。一方は鎌倉幕府御家人、
もう一方は山賊の親玉みたいな存在では、勝負になりません。
エジプトの王のお話、興味深かったです。残された痕跡から、当時の
心理や情勢が読めますね。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/germany/27/
北陸線 平成28(2016)年 写真3枚追加 UP
↓
http://www.photoland-aris.com/myanmar/sl/19/
真野恵里菜ちゃんの 今後の予定
↓
http://www.photoland-aris.com/myanmar/mano_erina/0/
真野恵里菜ちゃんとの 2ショット写真 1枚追加
↓
>山城は石垣よりも尾根や谷を利用した土塁とか郭 石垣はあっても低めの野面積みというイメージなのです。
佐和山城には石垣の遺構は残っていないようです。彦根城へ運搬して再利用したからだそうです。
城郭遺構について詳細に調べた訳でないので想像にしか過ぎませんが、この
石垣の再利用説はどうかと思います。最初から再利用できるほど使い易い
石が豊富には無かったのではないでしょうか。若干使われていた石が
多少 彦根城に運ばれたに過ぎないようにも思います。
石垣の有無はともかく、佐和山城の縄張りをみると、自然の尾根や谷を上手に
使って本丸から三の丸、そして各櫓まで広範囲に展開していたようです。
そんな立派な城が簡単に落ちるとは、やはり西軍に勢いが無かったのでしょうね。
今回の大河では山本氏が演じから石田三成の好感度が上がってますが、やっぱ
滋賀の地元では英雄です。米原〜長浜〜彦根の周辺では「三成めし」って
各食事処が考案したオリジナルメニューを出してらっしゃいます。
理詰めで情に薄いと思われていた三成像も変わるのでしょうね。「悲劇の武将」でしょうね。
>九度山にも行きました。 行ってみると感じることがありますね。
ノンフィクションでない世界に自分を置くのは、史跡巡りの醍醐味ですね。
九度山、行ったことがないので行ってみたくなりました。
>佐和山城・・・何か ん?・・・あの時代の山城 仕上げを塗らないままの土壁・・・という司馬遼太郎の記述だったような・・・
↓ ですね。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/sl/19/
↑ の佐和山城は、大阪城にも名古屋城にも見えます(汗)。
石垣の上に五層の天守は、平城の特徴ですよね。佐和山城は山城なので、
あのコンクリート模型のような石垣は無かったでしょうね。有ってももっと低かったとか、、、。
「三成に過ぎたるは島左近に佐和山の城」と云われたくらいですから、
そこそこ立派な城だったと思いますが、五層でなく三層だったという説も
有りますよね。どこからか絵図とか発見されるかもしれませんが、全く
不明というのは抹殺された敗者の歴史の恐さですね。秀吉に遠慮して、自分の城は
秀吉より低く三層にしたような気がします。その遠慮が、また他の大名に
嫌われたりしてね。今年の大河の『真田丸』、面白いですね。最近 大河を
観てなかったですが、今年は毎週楽しみに観てます。大河を観るのは『篤姫』以来です。
>このドンのCM 15秒しかないのかしらん。
CM は 「私と呑で待ってます」編 ってなっているので、違うバージョンが
また有るのか今後に期待してます。 次は「呑が私を待ってます」かな(笑)。
まままさん、酒の臭いさせて帰宅したらバレバレじゃん(?)
このドンのCM 15秒しかないのかしらん。
普通30秒モノもあると思うのにねえ。何故かなあ。
ワタシ、家では下戸(家では飲まない主義)のふりしてるんですよ。
だからなあ〜 (^_^;)
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