| 〜舞!組曲 掲示板〜 |
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>アイドル卒業するから、もぅいいんですかね?
地上波レギュラー、来ましたね。以前にも聞いたようなタイトルですが、、、エスパー。。。
アニメが原作だそうですが アイドル卒業しての深夜枠ですから、
ついにキ○シーンとか覚悟しないといけないですかねぇ〜。
清純(で腹黒)って役どころらしいですが、一応は清純ですからね。
回避できるよう期待してます(?)が。まぁ、役どころなら何でも
チャレンジして欲しい気もしますけどネ。
卒業後のドラマ、決まった。ファンクラブイベント、決まった。
次は新曲発表をぜひ決めて欲しいものです。
週末、ヨロシクお願いします。
____________________
< さぎ草 様 HPのUPをご覧下さり、どうもです!
汽車が新幹線の高架を潜って顔を出すのが、名古屋駅発車1分30秒後。
11時37分発なら38分30秒です。若干遅れれば11時39分。 のぞみ211号の
名古屋着が11時41分。高架の場所から駅まで直ぐなので、通過時刻は11時40分ころ、、、。
どう考えても汽車と新幹線の絡みは不可能かと思っていたので、汽車が
走り出してから遠方に新幹線が見えた時は感激しましたよ。
汽車の一本目は地上から撮影してましたが、上り新幹線ばかり走っていても
下りが来なかったので、浜松の不発弾処理で下りが遅れたのかもしれません。
ということは、汽車と絡めて写せた新幹線は、のぞみ211号じゃなかったかもしれません。
名古屋駅周辺で俯瞰撮影できるビルは、もう一箇所ありますが、今回は
昼食を兼ねてマリオットホテルにしました。中層階のレストランからは
踊り場が邪魔で俯瞰できず、撮影可能なのは52階でも スカイラウンジ『ジーニス』
だけだと判っていたので早めに予約しました。ジーニスのランチブッフェ
が始まるのが11時30分。汽車の発車まで7分しかありません。2番目に
席に案内されたので、間に合いました。ラウンジも新幹線も、分単位の
ヒヤヒヤものでした。 予約したものの、雨天ならスカイラウンジは雲の中でしたが。
千秋楽メチャクチャ
いつも以上に、ぶっ飛んでました
真野ちゃん「ソープおごってもらった」とか言ってたし(苦笑
まぁ、アイドル卒業するから、もぅいいんですかね?
さて、いよいよ今週末ですね
楽しみましょう!
>鉄道カメラマンはアイドル好きが多いんですかね
アイドル、、真野ちゃんしか分かりませんが、歌がすんなりと耳に入ってきます。
ユニットでの歌は、どのグループが歌っても構わないような無個性に
思えますが、真野ちゃんの歌にはしっかりした個性の主張があります。
アイドル・ヲタ向けと限定したくないですよね、真野ちゃんの歌。
さてハロプロ卒業まであと2週間弱、卒後の活動が気になります。
しかし、、、世間的には 鉄道写真撮っててアイドル好きとなると、
超ヲタク人間に思われそうですね(汗)。
長浜黒壁のトースト、食べれちゃいますョ。
>神社ありお寺ありで民間信仰のすべてが
天神さんと呼ばれるお社、普通なら御祭神は菅原道真公ってなるでしょうが、
全然違って星辰信仰ってのが美味しいですね。
漁師が星上山の方角を見て助かったエピソードがあるくらいですから、
逆に云えば山上から島根半島方面の海が広く見えるということです。
山の途中には「星上山スターパーク」というバンガローが有るそうです。
しかし大鏡餅行列に付いて、時には走って追い越しながらの撮影はキツかったです。
普段の運動不足を露呈しました。フラフラになって星上寺に着いたら
車が停まってまして、新聞記者も来てました。車で登れるのですね。
ある意味、反則ですわぁ。登りきった場所でカメラを構えてました(苦笑)。
雪中の行軍を撮りたいので、来年もし雪なら行こうと思ってます。
>私もそのように思います
神楽の剣は真剣を用いますが、神剣に通じます。
昨日の拙ブログで
「神楽のような呪術的な舞で魔障を祓攘する目的には、より鋭い光と鋭さが必要なのだ。
悪鬼や疫神は光に慄いて遠ざかるゆえ、舞には鋭い光と鋭さの剣が必要」
と書きましたが、祈願を念じて実現させるアイテムである剣には神威が
宿るので、神剣ということになりますよね。
神剣はちょうど鏡の池のような澄み切った清浄さが求められるから、
荒神谷遺跡出土の銅剣のように研いでないはずがありません。
その神剣を用いた里神楽では、相当に危険な舞が行われます。
真剣を四人で舞ながらイナバウアーのように反って剣を振り回したり
振り回している剣の下を潜り抜けたり、あるいは前転や後転したりと。
舞人の度胸試しというような低次元の話ではなく、これは祈念して
それが実現することを強制的に神仏に要請する行為だと思います。
祈念には段階があると思います。
「神様仏様、お願いします」 という段階から、「このやろう!言うことを聞いて実現させろ」
という段階までです。 真剣を振る危険な舞は、かなり後者に近い祈念の段階ではないでしょうか。
こんな危険な舞をしているのだから、願いを聞き届けよ! っていうような。
荒神谷遺跡の銅剣が埋められた弥生時代なら、神託を得る祀り事が政治の核心だったですから、
余計と中心アイテムの銅剣が研いでないでいい というのは納得できませんよね。
私なども願い事が切実になると実際、いいかげんに願いを実現させてくれよ、
って神棚の前で祈りながら思っちゃいますよ(汗)。
こちら↓ 宮崎県の祓川神楽ですが、剣を使った舞が多いです。真剣です。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/japan2/035/
荒神谷遺跡のこと、
「里神楽をみれば判るように、神楽の舞に使う剣に研いでないものはない。神楽のような呪術的な舞で魔障を祓攘する目的には、より鋭い光と鋭さが必要なのだ。悪鬼や疫神は光に慄いて遠ざかるゆえ、舞には鋭い光と鋭さの剣が必要である。
このように大量な剣の出土は、呪術的な目的というより、実戦的な武器であろう。実戦の前に研磨し、柄を付けるまでの武器庫だったのではなかろうか。」
大変説得力があって、私もそのように思います。
>もやがかかっているのがいい感じです
昨日も山に登りました。途中までは車で登れるのですが、スタッドレスタイヤを履いているにもかかわらず
坂道で空転して登れなくなり、ズルズルとバックして下ってきました。
車高をローダウンしてある四駆でもないプリウスで、道路がダートに
積った新雪の急坂って、不向きな道なんでしょうね。
車でラッセルしないと行けないほど新雪が有って、おまけに倒木も
有ったので引き返して良かったです。徒歩で新雪を踏みしめて登るのはキツかったです。
しかし汽車が来る頃には竹生島も見えなくなり、またまた残念でした。
今度の日曜日がこの冬シーズンの最終運転日なので、天気次第でもう一回
山に登ってみます。
>伊勢神宮の遷宮の時に、御神体である鏡を舟に乗せて移動していた
>天皇が崩御され御棺に納められる時にお舟入といわれますが、これも御霊を乗せるのは船であるという
遷宮の次第の18番目に 「御船代奉納式」というのがあって、本年斎行ですね。
御神体が鎮まる御船代を技士が刻み、禰宜さんが新しい正殿に奉納する儀式です。
そして天皇の納棺されることを「御船入りの儀」と云いますが、この
二件を並べると、両方がリンクしていることがアリアリと分かります。
鏡である御神体は皇祖皇宗の核心である国体ですから、鏡は天皇そのものです。
天皇崩御で船に入るということは、御鏡が納まる御船代に入って鏡と
一体化するということではないでしょうか。崩御することで鏡と一体化
して尚、国体の堅持を見守られるのです。多分(苦笑)。
しかし、なぜ船なんでしょうかね?
本当に御船代や納棺の棺桶は舟形なのでしょうかねぇ。長方形かもしれないのが
象徴的に船と称しているだけかもしれませんが、、、。
でも船に乗って、どこへ向かうのかという疑問が生まれますよね。
私は、その船は北極星へ向かうのだと思います。つまり八咫鏡や天皇の玉体が納まる
船は、宇宙船なんです(汗)。
そうそう、舟形の棺桶、ミャンマーで見かけました。
↓は、2007年5月4日に 拙ブログにUPした、ミャンマーの舟形棺桶写真です。
http://blogs.dion.ne.jp/gagaku/archives/5540230.html
たしか伊勢神宮の遷宮の時に、御神体である鏡を舟に乗せて移動していたような記憶があります。確かめていないので間違っていたらご免なさい。さらに天皇が崩御され御棺に納められる時にお舟入といわれますが、これも御霊を乗せるのは船であるということではないでしょうか。
>どうも神様の乗り物は船が多いようです
海上からやってくる まれびと は雑多な神様ですね。
山の場合は、雲に乗って来迎する仏様ってパターンですかね。
民俗信仰で山から野に春に来るという神様って祖霊ですから、
神話の神様のような血統書付きの優等神じゃなく、神か仏か
分からないような雑種ですからね。
あっ、あと山は 鬼とか妖怪のような零落した神のイメージですかね。
>スサノオの腰掛石は出雲市の来阪神社に有ります
うむ〜〜、、、絶句ですわぁ〜。一番古い腰掛石は、誰が腰かけたン?
スサノオの腰掛石は出雲市の来阪神社に有ります。
たぶん腰掛石としては日本で2番目に古いのではないかと思われます(笑)
神様が船でやってくるのはニギハヤヒの尊の例もありますね。
こちらは天の磐船で今の生駒山に降りられたそうですが、岩樟船という硬い岩のような楠の丸木舟で淀川の枚方、当時の白肩の津というところに着いたそうです。
どうも神様の乗り物は船が多いようです。
七福神だって船ですもんね。
>上陸地点なんてあったんですね
五十猛町の 韓神新羅神社の御祭神は、スサノヲノミコトです。
上陸地点だそうですから 神様は天から降臨されたのではなく、舟で
やって来たか海上を浮遊してらしたのでしょう。(神様でも舟が必要とは)
残念ながら上陸地点に、腰掛け石 は見当たりませんでした。残念!
五十猛町周囲には神社以外に異国風の名前が残っています。
例えば、韓郷山、韓島などです。 グロが行われる五十猛町の大浦も
昔は韓浦と呼んだそうです。半島との往来を彷彿するだけでなく、
文化輸入の最前線だったことでしょう。
>雪原を疾走する蒸気機関車って絵を期待されてたんですかね
今年の湖北は雪が少ないです。って云いましても、最近は降らない年もあるので
今年はそんな年なんでしょう。 汽車の編成が収まるくらい近接して
撮影する場合は真っ白な雪原もいいですが、俯瞰で汽車を小さく写す場合は
白煙だと雪に溶け込んで煙が見え難いので、屋根に雪が残るくらいが
望ましいのですが。って、そんな身勝手な好条件はなかなか無いですね。
国鉄現役時代なら毎日走っているので撮影も可能でしょうが、観光用に
走る臨時列車の場合は日にちと時間が限られますからね。その意味では
現役時代より撮影が難しいって云えましょうか。
とりあえず昨日の写真はHPにUPしました。また今週末にチャレンジですので、
今年の冬はオコナイより汽車の撮影が優先になりそうです。
西浅井はかつては伊香郡、東浅井郡って郡もありましたが、その辺りは
長浜市に統合されて郡が消えました。浅井長政の痕跡が消えていくようで
寂しいことです。
>大分ハードな撮影行だったみたいですね
朝5時半起床でホテルの部屋で前夜に買い置きしたパンで朝食を済ませ
6時にチェックアウトし、現場へ車で移動。
午前6時半から御餅を担いで町内を練り歩くのに同行。僅かの休憩後、
8時半に山上の寺へ山登り開始。10時半前に寺に着いて、法要。
下山してからは、神祀りの祠作製の撮影。午後1時半ころまで休む間無しでした。
毎日、職場まで3kmは歩いて往復してますが、それでは全然体力不足でした。
現地の人は雨で濡れて滑る急斜面を御餅を担いで、ぐいぐい登られます。
こっちは息が切れて、付いて行くのがやっと。膝もガクガクでした。
雪が無かったので、来年もし雪が有れば、雪景色の社参風景を撮影に再訪するつもりです。
>普通の鮎寿司だったかな。
普通の鮎の方が身が少ないから贅沢ですね。なれ鮨にした方が、骨まで
柔らかくなりますから丸ごと食べられますからね。
桶は何とも使い道が浮かばないなぁ〜。生首しかないですかねぇ(笑)。
>鮨が無いのは残念です。
焼鮎寿司は有ります。ん?普通の鮎寿司だったかな。
つるべすしは釣瓶型の桶に入ったなれ寿司です。
最後のほうではたしか5万円ぐらいでしたかね。
好事家が欲しがったそうですが前記の通り販売中止です。
再開したらちょっとほしいですね。
いや家内に怒られますか(笑)
なんせ芝居ではその中に生首が入っているんですから。
それにしても元気ですね。
私は正月も連休もほとんど家でごろ寝でした。
三月の沖縄行きも頓挫したし、次の遠征は六月に東京かな。
せっかくLCCが多くなってきたんだからどっかに行かなきゃね。
>鮎料理で有名です
南朝巡礼に抱き合わせで寄っても良さそうですね。鮨が無いのは残念です。
鮨は 押し寿司だったのでしょうか? 生なれ鮨だった可能性もありますか?馴れ鮨だと手間が架かりますからね。
維盛は熊野で入水したから、新宮あたりの馴れ寿司は食べたかもしれませんね。
寿司のことを書いていたら、フナ寿しが急に食べたくなりました。
風呂上りに、冷蔵庫の備蓄ふな寿司を食べます。
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< わらってかわせみ 様 どうもです!
>湖北のオコナイとは異なり北今西のそれはずいぶん独特な
そうなんです。湖北とはかなり違いますが、案外と甲賀地方のオコナイ
とは似た点がありそうです。
北今西のオコナイのアイテムの、鏡餅・造花・牛玉宝印などです。
それと湖北のオコナイは純粋ですが、甲賀地方のオコナイでは勧請縄が
混じってきているなど餅が中心から逸脱しています。逸脱という表現は
誤解を生じるかもしれませんが、餅を最も最重要とした場合という意味ですが。
北今西も、餅もアイテムとして有るのですが、中心的役割ではありません。
エンタテイメント性もありますが、「かずら切り」という荒っぽい行事が
目を引きます。山ノ神の行事だと思いますが、それが習合しているのは
面白いことだと思います。
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< さぎ草 様 どうもです!
>切り絵でした
神聖な聖域を結界するのに注連縄を用いたりするのが通常ですが、
特に お神楽 では このような切り絵を用いることが多いですね。
お神楽が普及したのは、江戸時代の山伏・行者や御師の存在が大きいですが
現地の民に神聖な区域を視覚的に表現し易かったから、切り絵が発達したのだと思います。
オコナイで切り絵は、初めて見ました。珍しいです!
北今西のオコナイ拝見しました。
それにしても湖北のオコナイとは異なり北今西のそれはずいぶん独特な
内容で行われているのですね。コアになる鏡餅や五黄宝印は登場するようですが。
オコナイのコンテンツも質と量ともずいぶん充実してきましたね。
「つるべすし弥助」というお店です。
鮎料理で有名です。ですから夏に行かれるのがよろしいかと。
3〜4千円で鮎づくし定食があります。
維盛にちなんだ料理は残念ながらありません。
実は桶に入れた「つるべすし」が名物だったのですが桶の制作費が高騰し、桶を売っているのか鮨を売っているのか解らなくなってきたので販売をやめたそうです。昔は1年待ちで売っていたのですが。
この桶が歌舞伎や文楽の「義経千本桜」の三段目の「すしや」の段で重要な小道具として出てきます。
昨年末に亡くなった中村勘三郎がこの段の主人公を演ずる前にここを訪れたそうで、その時「次に演じるのは海老蔵君ですよ。その時に来ますよ」と言っていたそうです。それもまたこの店の歴史になるんでしょうね。ちなみに海老蔵はまだ行ってません。
>新撰組のでも子母澤寛の創作じゃないか?という部分がかなり有りそうだし・・・
子母澤寛の「始末記」が遺族や子孫からの聞き込みによる第一級の資料
かというと、聞き込みを基にしたフィクションでしょう。
新選組において子母澤寛の名前が大きく偉大になり過ぎて、史実のように思われてしまってますね。
ただ、近い子孫や遺族からの直接の聞き込みができた最後の時期の書だから
資料性は高いでしょうけど。フィクションとノンフィクションの選別が
大変でしょうね。
ところで維盛が吉野下市のすしやに婿養子になって潜伏していた寿司屋さんでは
何がお薦めですか? 維盛にちなんだ料理はありますか?
一の谷で見つけた、 熱盛り蕎麦(敦盛)はヒットのネーミングですよね。
今でも強烈な印象です(笑)。
今夜のブログのは、信憑性0.1%です。あまりに笑えたので、0%にはしませんでした(汗)。
ははは、我々が好む史跡の%はかなり低いでしょうね。
ことによると0%続出かも。
幕末のものでもかなり怪しいのはありますよね。
新撰組のでも子母澤寛の創作じゃないか?という部分がかなり有りそうだし・・・
でも我々シロウトはロマンを楽しめばいいのであって考証のために史跡に行くんじゃないですからね。そういや伊豆韮山の山木判官の墓と称する寄せ集めの五輪塔は傑作でしたね。でも仮に一部分でも本物だったら信憑性20%ですよ。
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