■ 京都 「きゅうり封じ」
撮影場所;五智蓮華寺(京都市右京区御室大内)、神光院(京都市北区西加茂神光院町)
撮影年月日;平成21(2009)年7月19日、撮影機材;Nikon D300+VR18-200mm
三重県伊勢市二見の二見興玉神社さんでの特殊神事「郷中施」を奉拝・撮影させて頂いてから、この神事の意味に興味を持った。
社伝によると、寛政4(1792)年旧暦5月15日、この地を津波が襲い、多くの犠牲者が出たことで、村内安全と供養を目的としているという。しかし調べてみるとこの日付に津波の記録は無く、津波ということになっているが、実際は大雨による土砂災害や疫病の蔓延などで村内が被害を被ったのではないかと思った。そして、この二見興玉神社さんの近くにはスサノオを祀る松下社が安坐されており、そのスサノオの正体は疫神・行疫神である牛頭天王なのである。その松下社の周辺は「蘇民の森」と呼ばれており、「蘇民将来」護符は伊勢市内でも現在も散見できる。このようなことから、「郷中施」で小舟に乗せられて巫女さんによって海の中へ運ばれ流される供物の一つであるキュウリは、牛頭天王を象徴的に表し、この「郷中施」も牛頭天王由縁の祭礼ではないかと推測した次第である。
このことからキュウリの存在に着目し、キュウリを用いて病気平癒の加持祈祷を行う「きゅうり封じ」の撮影に京都へ出かけた。
キュウリは祇園の紋であり、祇園祭りのシンボルマークである。祇園祭りの起源は、京都の民草を夏の時季に襲う疫病を起こす行疫神が牛頭天王(又は荒ぶるスサノオ)であるから、祇園社(八坂神社)に祀り上げて封じ込めようとしたのである。現在でも京都では「キュウリは祇園祭りの間は、畏れ多いし、勿体無いから食べてはならない」と言われている。本来、キュウリは中が中空のようで水水しいから、悪霊を溶け込み封じ易い依代・みてぐら と考えられていたから、そのキュウリの中に疫神の牛頭天王を封じ込めてしまうわけである。それが牛頭天王=キュウリ=祇園祭りマーク、となった訳で、現在の京都でキュウリを食べるのが勿体無いという考えは、既に本来の意味が見失われているといえよう。祇園祭りの頃のキュウリは勿体無いのではなく、疫神・悪霊が封じ込められた恐ろしい状態なのだ。祇園祭りの終盤の頃、京都市内の三箇所の寺院(蓮華寺・神光院・三宝寺)では、そのキュウリを用いて体の悪い処、病気の処を撫でて病苦を和らげて長生きし、安楽に往生できるようにする加持祈祷が行われている。私は今回、蓮華寺さんと神光院さんで取材してきたが、共に真言宗のお寺で、弘法大師以来の秘法なのだという。両寺に細かい作法の違いは有っても、基本はキュウリに悪苦を移して封じ込めようということに変わりは無い。ゆえにこの「キュウリ封じ」の加持祈祷と、祇園祭りの延長線上にあると考えても良いだろう。話は再び、伊勢二見。牛頭天王を祀る松下社には、『牛頭天王儀軌』という、牛頭天王の逸話に関する文書が伝わっているという。原文書は弘法大師作と伝わるという。現在、二見興玉神社さんで斎行される「郷中施」であるが、昔は真言宗の大江寺で供養が行われていたという。京都における真言宗寺院での祇園祭り関連の「キュウリ封じ」、伊勢二見における真言宗寺院の存在そして牛頭天王文書、これらの存在は、「郷中施」で供物として流されるキュウリが、牛頭天王であることを示唆しているとは十分に考えられないだろうか。すなわち、「郷中施」は祇園祭りの要素の祭礼と考えるのである。(私論であること、お断りします。)
拙HP「松下社」
拙HP「蘇民将来」
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